Dream Sky..

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大学生になったとさ

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 お久しぶりです。帰省しております。cinema staff Homecoming Live!というイベントがありまして,そのため(と,母校の100周年文化祭)に日程を調整して帰ってまいりました。このライブ,実はスタッフとして参加させていただきまして,一生かかってもできないような貴重な素敵な経験をさせていただいたと思います。今回はそれについておもうところを勢いで書いてます。長くて読みづらいです,ご勘弁を。



 今回のcinema staff Homecoming Live!は,我らが母校加納高等学校の90周年文化祭のOPの舞台で(ストーリー仕立てです),cinemaの前身であるREALについて「REALは10年後その名を知らない者はないほどのバンドになっている」という筋書きがあったことから,本当の「10年後」である今年,躍進を続けているcinema staffに帰ってきてもらおうというコンセプトで実現したものです。加納高校100周年記年行事を統括していらっしゃる川島先生が主催となり,cinema staffを呼び,加納高校出身の演者を対バンとし,加納高校OBやcinema所縁の人たちの手でつくりあげた,特別なライブでした。
 
 10年後の’約束’のためのステージなんて,そうそうあるものではないでしょう。それを実現することができる人だって,13年加納高校にいて,圧倒的に生徒との交流が広く,人望の厚い川島先生の他にはありませんでした(こんな人はたぶんどこの高校を探してもめっっったにいません)。さらには,加納高校でなければこうはいかなかったと思います。奇跡という言葉が好きな人も嫌いな人もいるでしょうが笑,奇跡的な好環境のもとで実現したものと感じています。
 このライブは,わたし個人としても様々な意味で大変特別なものでした。それについてどうしても語りたい。いろいろ思うことありすぎてとっ散らかった文章書いてしまいましたが…
 
 まず,Red Score’sがSupport Actで出たこと。彼らとは加納に入学してきた当時から付き合いがありまして,わたしは初回のライブ(の前?)からの古参ファンです。もう5年目ですね。
 cinemaと対バンは貴重なチャンスでした。大先輩にもどうやら気に入っていただけたようで…PAを志して勉強しに福岡に来ているわたしは,卒業しても音楽活動を続けている彼らから大きく刺激を受けています。将来一緒に仕事するぞって約束してるんです。彼らは本気でやってる。わたしにはもっと,できることがあるなと今回気を引き締める機会をいただきました。

 cinema staffは自分にとって特別な存在です。単純に曲が好きで,ファンで,ということだけではありません。同じ岐阜,同じ高校で育った人たちが夢をずっと追いかけて,叶えようとしている。わたしはそれに励まされるし,刺激を受けます。苦しい時も,望郷をはじめとしたcinemaの歌詞に自分を重ねながら福岡で生きています。彼らにはずっと,進み続けて欲しいし,まだまだ行けると信じています。

 100周年の文化祭にcinema staffを呼んでほしいっていうのは2年以上前から思っていたことで,現役生徒たちの意向を尊重して文化祭とは別開催のライブという形にはなったけれど,ずっと願っていたことがついに実現しました。
 わたしがこのライブのためにできたことなんてほんのわずかなお手伝いでしかないけど…でも,お正月に瞳と達之(友人たち)とわたしで川島先生のお家に遊びに行ったとき先生と4人で鍋を囲みながら,文化祭でcinema呼んで何かできたらいいねなんて話していたこと,春に帰省してRed Score’sのライブを見に行った折にはその会場にいた先生とまた同じ友人たちと,cinemaを呼んでRed Score’sを(前座的な)対バンにしたライブをしようと思ってるよ,って話を聞いて感極まったこと,facebookで先生がライブの実現のために陰日向で忙しく準備をされており,それが段々と周囲を巻き込んで形になっていくのを見てきたこと,,先生には頭が上がりませんし,直前以外なんにもしていない身ではありますが,自分のことのようにこのライブの実現・成功が嬉しく感ぜられます.

 わたしも今回の企画のために何か,なんでもいいからお手伝いがしたいと,お仕事をくださいと先生にお願いしておりました.とはいえこのライブのために急いだところで,福岡から岐阜に戻れるのはライブ直前です.遠方からではお手伝いする術もありません.客の呼び込みをぜひ,と言われ,チケット発売と同時に5枚のチケットを買い込み,親しい人たちをバンバンライブにお誘いしました。
(こう書くと宣伝の犬のようですが,わたしはcinema staffも,Red Score’sも,加納高校も大好きで,ライブにお誘いした人たちも皆大好きです.わたし,大好きな人と大好きな人を出会わせたくなってしまう性分なのです.わたしは彼らに純粋に会場に来てライブを見て欲しかったんですよ)
 そんなことでライブに貢献できた気もしませんでしたので,あまり満足しちゃいなかったのですが,ライブももう日が近づいてたので諦め掛けていたところに,先生から「佐藤瞳と一緒に寄せ書き用のフラッグを作ってくれんか」との連絡が。もちろん,喜んでやらせていただきました。クレジットに名前が載るくらいの存在でも十分嬉しいと思っていたのですが(クレジットとか無いんですけど),実行委員という肩書きをいただき,スタッフTシャツをいただき,当日もお手伝いをさせていただき…たいへん,たいへん嬉しかったです。お仕事を与えてくださった先生に感謝しております.

 中学生時代は生徒会,高校時代は生徒会やNLAや文化祭推進委員会,大学ではTRPというPAサークルで活動してきまして,わたしはライブを観る・楽しむ側よりも 観せる・楽しませる立場でいたい人間だということがよくよくわかりました。ですから,今回もこんなに特別な日にスタッフとして働かせていただいたことは一生の宝です。正直,もう少し役に立てることがあったのかもしれないと思う部分があり反省はしているのですが,それもまたこの先に生かしていこうと思います。

 寄せ書き用のフラッグ作りのため,先生のお力を潤沢にお借りしながらわたしと瞳で作業していたところへ,ちょっとした用で達之がきて,そのまま暇だ暇だと言いながら居座っていたので手伝わせ,3人でフラッグを完成させた次第です.
 美術科卒業生の瞳の活躍により相当出来の良いものとなりました.わたしも絵を描くのが好きで得意分野ですので,そこを見込んで先生からこのお仕事がいただけたのだなと思うと,たまたま趣味が役に立つことがあって幸運だなと思います.
 また,ここまでの話にも繰り返し登場したように,瞳と達之とは非常に親しくしている間柄です.特別な日を一緒に過ごせて良かったと素直に嬉しく思っています.全員作業後に用事があったのに完成は少し遅くなってしまいましたね,それでもお付き合いくださったこと,感謝しております.

 本番はありがたいことにライブをしっかり見ることができました。Support Actの2組も良かったし,cinema staffのライブもいつもとは趣向の異なる温かいもので,もう書ききれないくらい思うところはあったのですがとにかく最高のライブでした。この感想はあの場にいた人たちとまたお話できたらなと思っています。
 会場は半分加納高校の同窓会といった感じで,わたし自身ずっとお会いしていなかった先輩と再会したり,でも高校の外の友達もいたり,遠方からcinemaの熱心なファンが来ていたり,さらには(わたしがお誘いしたのですが)大学の先輩も来てくださってたりと,不思議な空間でした。
 
 最後に,本番後 実行委員として打ち上げに参加させていただき,cinema staffの皆さんと一緒に飲めるという夢のような機会を得ました。個人的にどうしてもメンバーの方と直接お話したかったことがありまして,本当にそれが叶って良かったです。特に三島さんには非常に感謝しております。今のわたしがあるのはきっと三島さんのおかげですから,そして,未来のわたしもきっとそうですから。Red Score’sもいるわ親友もいるわお世話になった先生もいるわcinemaもいるわで,あんな素敵な時間があるものでしょうか。わたしは本当に機会や出会いに恵まれている。物凄く運が良いのです。でも「次」は運じゃない,必然の未来を目指してやっていこうと思います。
 
 TRPも引退して,PAなりたいのかどうか,将来のことが分からなくて,就活とか,結婚とか,平々凡々な幸せとか,日和ったこと考えるようになってましたが,まだまだ突っ走っていいようです。人生の保証など誰もしてくれません。賢い生き方,比較的安全な選択が頭でわかったって,バカやってしまうんですよ。好きだと思えること,好きだという理由だけで,まだ追いかけていたいと思いました。何が何でもPAになる!と,限定した,という意味じゃないです。でももっと真剣に,自分のやりたいことを突き詰めて生きる道を見定めたいって思いました。何が何でも,本当にやりたいことをしようって。いつかどこかで本当に違うものを見つけたなら,その時はその時です。
 きっとどんな風になっても この仲間がいれば立ち上がれる生きていける なんて臭いこと本気で思えたりしてるんです。

 
 
 後になって読んだら恥ずかしいだろーなー笑
 でも本気でこう思える気持ちをまだ なくしたくないと思います。
 川島先生 cinema staff 一緒にライブを運営したスタッフの皆さん お客さんたちに,深く感謝しております。ありがとうございました。

将来のこととか,人付き合いのこととか,
もやもやもやもやぐるぐるぐるぐる考えてたり
よく分かんなくなってリセットしたり
選択肢の前でうろうろするだけで
何も選ばない毎日を繰り返していたけど

そろそろまた 自分を見つめ直すべき時期なのかもしれません.

きっとこうすべきだって思って進め出していたことも
本当に自分が望んでいる道ではないと気づいてしまったから.



わたしって本当は何がしたいのかな?
どんな未来を望んでいるのかな?



自分という人間の心の声をちゃんと聴いて
それを殺さないで強くまっすぐに生きたいと思うのです.



ということで,自分に6つの質問を



「タイムマシンがあったらどうする?」
「明日死ぬとしたらどう?」
「ひとつだけ願いが叶うならどうする?」
「考えたらワクワクしてくることは何?」
「守りたいものは何?」
「幸せって何?」




「タイムマシンがあったら」
過去にはなかったことにしたい出来事もあるけれど
それを塗り替えようなんてせこい考えはありません.
未来を知るのは怖いから知りたくもありません.
でも会いに行きたい人がいます.叶ったらいいのにな.
本当はちょっとだけ未来の自分に教えてほしいです.
わたしは一体どうしたらいいのって

「明日死ぬとしたら」
少し前までは,なんで生きていかないといけないのかな,もういいよ十分だよって思ってました.
自分で自分が許せないから,よくもまあ図々しく生きていられるなと思ってました.
生きていてほしい,と言ってくれる人がいるからそれだけを理由にしてもいいのかなと思ってました.
でもこの頃はとても楽しい.周りにいてくれる人たちのことが大好きです.
どうしようもなく楽しくて楽しくて仕方ない日もあります.
出会えてよかったと思える人たちにたくさん出会っているしこれからも出会うことでしょう.
まだまだ一緒にいたい人たちがいます.行きたいところも食べたいものもあります.
嬉しいことだけじゃなく悲しみも傷つくこともみんな素晴らしいと思います.
まだしぶとく生きていたいと思います.居場所をくれる人たちのおかげでそう思えます.

「ひとつだけ願いが叶うなら」
どうしてもどうしても欲しい未来がわたしにはあります.だけれども
それは誰かに叶えてもらうようなことじゃないです
神さまみたいなものが居るのならどうか
おばあちゃんを元気にしてください.

「考えたらワクワクしてくることは何?」
人を驚かせたり喜ばせるのが大好きです.
人間関係が「偏食」だからそう思える対象は多くないですが.
それから,夏休みになったらずっと会いたかった人たちに会えそうです,
行きたかったところに行けるかもしれません,
大好きな人たちと旅行にも行けるかも.
わたしはやっぱり,人間が好きなんだと思います.

「守りたいもの」
失くしたくない大切なもの,
家族友人大切な人たち.もっと大切にしたいです わがままなばかりでなくて
愛している彼らのためにもっとできることがあるはず
感謝も愛情ももっと形にしていきたい
音楽.UVERworldがいつだってわたしに教えてくれること,
何よりも心に響くこと,熱くなれるもの,失くしたらきっと生き方がわからなくなる
今のわたしにはきっと共鳴すべき何かが足りないのです,
キラキラした目で何かを夢見てそのために一生懸命に生きていたい
なりたい自分,手に入れたい未来は何かな?
そのために何ができるかな?って
前に進んで行く姿勢,守りたいというより,取り戻したい.
そのためにいつでもわたしを奮い立たせてくれるのがUVERworldです.

「幸せって何?」
出会うべき人に出会えることを幸せというのだと
教えてくれた人がいます.それもひとつの真理でしょう.
そうだとすれば,わたしはもう既に十分幸せです.

この間わたしなりに見つけたひとつの答えは,
生きることを素直に喜べること.
生まれてこれてよかったと思えることもそう
美しさや豊かさに気づくこともそう
何かに夢中になれることもそう
きっとそんな気持ちをわたしはもう知っているのです
何もかもが魅力的に見えて
些細なこともかけがえなく感じられて
不思議なくらい世界が明るくなる
そんな瞬間が確かにあることを知っているのです
わたしはきっと,この瞬間,世界で一番幸せだと思うくらい
満ち足りた気持ちになれるのです
誰かに与えられるものではなく自然とこみ上げてくるもの.

一緒にいるとそんな気持ちになれる人と出会えたこと
それもまた幸せ




少しずつ,見えてきた気がします.
キーはいつでも「人間」
わたしの好きなものはとにかくそれだということ
そうして絶対に失くしたくないものと
どうしても欲しい未来があること

具体的な事象を考え出すとわからなくなることも
自分という人間の根っこがこうだと分かっていれば
きっと自分なりの答えを見つけられるのではないかな.

まだまだ考えていきたいと思います,
今日はこれで.


罪悪感で死ねるならもうわたしはとっくにこの世にいない
けれども罪悪感を抱くことそのものが許されていない

ちゃんと思い出したら正気を保てる自信すらないくらいの過去も
忘れてはいけない
それがわたしの責任

思い出したくない、忘れてはいけない、
思い出したくないなどという感情そのものが既に悪、

間違いだったと思ってはいけない、
でもどうしても受け入れることができない、
すべて自分の招いたことなのに

二度と同じ轍を踏まないように
わたしはわたしを許してはいけない



誰よりも自分が自分を傷つけているのは分かっているけど
でもやっぱり自分を許せなくて

向き合うべきなのに向き合えない

あまりにも辛くて思い出すことができないから
思い出さないで過ごしてきたら
ふと気づけばわたしはまた
悪びれもしないで厚顔無恥な生き様を



全部全部なかったことにできたらよかったのに

そんな風に思ってごめんなさい

いっそ人間として美しいままで死ねばよかったのに



もう優しさに甘えてはいけない
寂しいままでいなきゃいけない

なんでこうなったんだろう
どうしてうまくいかないんだろう
生きていくのってなんでこんなに難しいんだろう

人を傷つけたくて生まれてきたわけじゃない



後悔することも許されない
そんなこと言われたって無理でしょ
わたしはわたしを許せない



せめて、せめて、
不器用すぎて 突き放すことでしか
相手を守れなかったわたしをこれからは変えたい



こんばんは。21歳になりました。
21歳初GNSもキメてきました。なにそれって人は聞いてください。

朝から大好きな人たちのお祝いのメッセージをいくつもいただき、
大好きなバンドの曲を贈られ、ご機嫌です。
8時前にスーパーで買い物っていう攻めたスケジュールでしたが、
お気に入りのお菓子を手に取っているしらない男の人に
「それおいしいですよ!!」って言いそうになるくらいにご機嫌。

それから2時間料理してお弁当ライフ再開。
学校行って、お菓子もらったりおめでとうって言ってもらえたり。
来たばかりの編入生や先生からも言っていただけたの嬉しかった…!
雨の予報でしたがさすがわたしは曇り女、日中は傘は必要ありませんでした。

予定より早くいろいろ終わったので、帰宅後また料理して、
部屋を掃除して、映画1本見て、GNS行ってと

何にも期待しないで普通の火曜日過ごそうと思ってたけど
楽しい嬉しい1日となりました。

自分の誕生日ってやつは、
普段からどれだけ周りの人に支えられてるか実感して感謝するとともに
生きてる以上時間だけはどんどん経ってることに気づかされて
頑張んないとなあと気を引き締める日です



最近は大切な人たちの誕生日がとても嬉しいと思うようになりました。
その人がこの世に生まれてきた日です、
その人が生まれてきてくれたことを改めて喜ぶ日ですからね。
出会えたことやその人の生きてきたこれまでのことが
全部全部奇跡だ!と言って浮かれています。

普通はそうまでは思わないでしょうけど、笑
まあわたしの存在を快いものと感じてくださっている方がいるのは
たいへんに嬉しく、それだけで十分生きていく意味になることですね。



20歳の振り返りをします。
といっても何月には何々しましたっていうのはほぼfacebookに書いてますので
概してざっと、まとめます。

良くも悪くもいろいろなことがありました。いろいろありすぎました。
正直振り返りたくないこともあるし未だに向き合えないこともあります。
人生で初めて本当に死んでしまいたくなったことも。
でも逆にもう死んでもいいなって思うくらいの幸せなこともありました。

バイトもたくさん経験していろいろ知りましたし、
良かったこともありました。でも
世の中できた人間ばっかじゃないんだなあとか、
お金の重みなんて人によって全然違うんだなとか、
なんか知らなかった方がいいこともいろいろ知ってしまいました。

生きてくのに疲れたな、何のためなんだ
とか20歳で初めて本気で思ったり
人間関係面に異様に不安を抱くようになったり。
自分はこんなに弱い人間だったんだ、と発見。

そういうのを通ってきたせいか この1年で私は結構
変わってしまったような気がします。良いか悪いか。
大人に近づいてます。

でも変わりたくない部分はちゃんと握りしめて生きていきたいものです。
きっとそれを知っていて、思い出させてくれるのが
岐阜の仲間であり、あの街そのものなんだと思います。
自分にとっては帰省というものが非常に大切であることが
改めて感じられた年でした。

すっごい病んだことばっか書いてていい加減にしろって感じですね、
もちろんそれだけじゃないです。

とっても素敵な出会いもいくつもありました。
またしても、変なつながりを広げてます。笑
人と親しくなるのに、「仲良くなりたい」「なんだか好き」以上の理由は必要ないのです。
直感の赴くままに行きたいところへ行ってやりたいことをやりました。
そういうことができた1年間でした。楽しいことがたくさんありました。

わたしは面の皮が厚いというか可愛げのない後輩だし、
それほど能力が秀でたかっこいい先輩でもないし、
自分勝手で気分屋で集団に適応できない面倒臭い人間だと思います。
なのに周りには優しくて素敵な人ばっかり!
幸運にも程があると思います。
うまく伝えられていないかもしれないけど本当に感謝しています。

今年は大切な人たちのことをちゃんと大切にしたいです。
3年前のわたしの言葉そのままですが、
そこに立ち返るべきだと思います。



まだまだわたしは変わりたい。

「まだまだいけるぞ」

まっすぐに心打たれるものに向き合って
濃く、生きよう

子供の頃の私は、
自分で言うのもなんだけど優等生だった。

それはでも、能力が高かったとかいうことではなくて、
大人たちからの評価が良かったということだ。

大人たちが子どもに何を求めているのか、
理想とされる姿はどういうものか、
それが分かって的確に目指せる力が
秀でていただけのこと。

良い例が道徳の時間。

こんなときあなたはどうしますか?
と言われた答えは、いつも
大人が立派だと感心してくれる行動を
予測してでっちあげているだけ。

自分の頭で考えて判断するということが、
真の意味では分からなかったんだと思う。

大人だけじゃない、
いつでもわたしは人の目を気にしてばかりだった。
投げかけられた質問に、課題に、
相手の満足がいく答えや結果を出す。
それがすべて。

人の期待に応えるべく。

わたしは誰かの評価なしに
自分という人間の価値を認めることができないんだと
気付いたのはまだほんの最近の話。



大人ってそうじゃない。
大学からはもうそうじゃない。

質問は「自分の中に自然と生まれるもの」かつ、
「正解はない」

何をしても、何を言っても、
全員から良い評価がもらえるような答えはない。
評価してくれるかすらわからない。

だから何をやっても何を言ってもダメだ、と
思うようになってたと思う。

「ダメだ」と自己判断をする理由が
他人の評価であることが、ダメなんだな。

だから大学に来てからずっと、
わたしの正義はどこにいっちゃったんだろう
って考えてた。

自分の頭で考えて見つけた答えってのは
実は今まであまり多くなかったらしい。
だから正解がわかんなくなって当たり前。

わたしの正しさはこれから。
わたしが一生懸命生きて考えて
作っていくものなんだろう。