泥棒に開けられた金庫というものを
僕は 生まれてはじめて見ることが出来ました
バールでこじ開けられた金庫は見るも無残な姿でした・・・。
泥棒がまだ潜んでいるのでは!?
と、一瞬ビビりましたが、もういませんでした
あとで知ったことですが その日、
近隣の2店舗も同じように被害にあっていました。
まとめて3店です Σ(゚д゚;)
でも、うちの店は釣り銭しか置いてなかったので、不幸中の幸いでした
お店はアルバイトさんたちの協力の下、
どんどん良いお店になっていきました
バイトやパート同士の団結力も高く、
いつもみんなで遊びに行っていました
ある日、中国人の留学生の家族が来て、
妹を店で働かせてもらえないか、と
お兄さんから頼まれ、もう情だけで雇いました (^_^;)
今思うと、当時は入管法などの法律があることなど
まったく知りませんでした・・・・
その子はよく働いてくれて、日本語の会話力も向上し、
お店の人気者になりました。
みんなで餃子パーティーなんかして よく楽しんでいましたので
その子が中国に帰るというときは みんな寂しかったです・・・
また、生活が苦しくて・・・という理由から、
70歳くらいのおばあちゃんを雇ったこともありました
これも情だけです・・・。
レジの操作を覚えるのが難しく、
逆に レジのボタンをお客さんから教えてもらっている姿には
さすがに苦笑いしてしまいました・・・・
お客さんスミマセンでした・・・
もう、あの頃は まさに 「何でもアリ」 状態でしたが、
不思議とお店はよく回っていました A=´、`=)ゞ
従業員の質の高さゆえ、です。
店長としての 私のオペレーション能力も 日に日に向上していきました。
もう、「新米店長だから わかりません」
なんてセリフも口に出さなくなりました。
とにかく勉強勉強の日々でした(よく考えると今と変わりませんね)A=´、`=)ゞ
今思うと、何かにつけて足りない店長だったなぁ・・・としみじみ反省しますが
その当時は仕事が楽しくて仕方がありませんでした
そして、そこで 一人の接客の素晴らしい女性に出会いました
← まぁこんなんです(笑)
それが、今のうちの嫁さんでした
今思えば その会社へは、
嫁さんや良い友人と出会うために入れられたような気がします・・・(-"-;A