確か小学校を卒業した年の春だったと思うが小説(滑稽本)を読みたくて「吾輩は猫である」を買いに駅前の書店に向かった。漱石のコーナーで探したがそれはなく、代わりに「坊ちゃん」を買って帰った。
「泳ぐべからず」や「天ぷらそば四杯」、そして「バッタ・いなご論争」までは一気に読めたが、その後何の奇想天外な出来事も起こらず主人公が「全てを放りだして東京に帰ってしまったこと」が当時の印象としてはあっけなく終わった感があり「失望感」を抱いてしまったので、続いて「猫」を買って読もうという気になれなかった。(漱石を滑稽本として手に取ったのが間違いだったことは今なら分かる)
それから、15年ほどして愛媛に来て愛媛の人と接するようになってものの考え方の相違(県民性の違い)を感じもう一度「坊ちゃん」を読み直した!ワタシがひねくれ者という事もあるが、少なからず漱石も愛媛の人間に対する思いがこの小説に込められていると理解した。
ドラマの中にあった、この地に住むならば「嘘をつく法」「人を信じない術」「人につけこむ策」これだけを君たちは覚えればいい!と感情をあらわにした場面があったが、まさしくこの思念は漱石の体験でありワタシの体験でもある。