昨日は、私が大好きだった
祖父の誕生日♡
長女だった私は
家族の中でも「孤立」することが多かった幼少期。
いつも私の味方でいてくれたのは
祖父でした。
パーソナルソウルミッションコーチ
のの ののこです
ダメンズばかりを好きになる。
気がつけば、彼にとって「都合のいい女」。
「会いたい」をすぐ我慢しては
いい女を演じる日々。
こんなに彼のことを誰よりも愛しているのに
どうして愛されないんだろう…
出口の見えないブラックホールに
吸い込まれていくような不安に
彼氏がいても
結婚しても
「わたし」は満たされることは決してなかった。
そんな人を愛することに
うまくいかなかった過去の私は
幼少時代の「寂しさ」に原因がありました。
人間って不思議で
自分がほしい愛情表現と
相手がしてくれた愛情表現が一致することって
ほぼ、ほぼ、、、ないんですよね笑
私の父にしても
私の母にしても
めいいっぱい「わたし」を
愛してくれていたんやと思います。
でも、仕事で忙しすぎたふたりは
「わたし」を放置してきた。
ふたりの心に余裕がなく
褒められた記憶よりも
ボコボコに叱られた記憶の方が多い笑
今から思えば、放置しようと
思ってしてきたのではなくて…
放置せざる終えなかった…
だけ、かもしれない。
バツ2のシングルマザーである私は
常に仕事と家庭の往復で
子どもたちに優しく構ってあげる心の余裕ってないんですよね
あ!放置したくてしたい わけではなくて
仕事は「お金」を頂く以上、責任だったあるし
掃除、洗濯、洗いモノ…
家庭を回すためにやらないといけないことはいっぱいあるから。
どうしても構ってやれる時間が少なくなることを
私が「母親」になって
気付いたこと
だからって
娘たちを愛していないわけではない。
逆に、娘たちがいるからこそ
今すぐにでも逃げ出したい現実に立ち向かう勇気をもらえた。
「わたし」から逃げずに
自分の可能性を信じて歩いてこれた。
これは、人として
未熟な私を
母親にしてくれた娘たちへの恩返し
だからって、子どもたちには
「寂しさ」を感じさせる日々もあるだろう。
褒めることも
叱ることも
突き放すことも
どれもどれも
きっとそれは「愛」なんだ
私が、両親ふたりに望んでいたことは
ただ、私の傍にいて
笑ってくれること
よくよく考えてみると
パートナーたっきーに
望んでいることと一緒だった。
ただ、隣にいてくれたら
なにもいらない。
大好きだった祖父は
そんな私がほしかった愛し方を
叶えてくれた人
いつも私の傍にいてくれた祖父のことを
思い出すと、涙が溢れてきた。
愛してほしくて
愛されたいと思っていたわたしは
確かにあなたがほしかった愛情はくれなかったかもしれない。
だからって
愛してない現実はひとつもなくて
愛がないと思い込んでいた
「わたし」にも
原因があったのかもしれない。
出逢いがあれば
必ず「別れ」があります。
でも、その「別れ」の先にも
「再会」があります。
三年前ね。
どんな形であろうとも…
過去にとらわれて
現実から目を背けるよりも
過去と
「今」は違うんだということ
愛してほしかった過去があるなら
愛したい「今」に
変えていこう♡
母が作ってくれたドライカレー🍛
愛は感じれば
いくらでも転がってるんだよね!
あなたの魂が
キラリ光り輝くことを
私は知ってしますよ~!!!