出産を迎えて途中で止めてしまっていたブログですが、

ついにここまで書くことができました。

 

産前の暇すぎる時間を持て余したのがきっかけで始めたブログ。

 

妊娠前後で他の人がどんな夢を見ているのか気になって検索してみたけれど、

実際に見た本人が書いている話はあまり出てこないし、

エピソードもさほど多くなくて。

妊娠記録に、夢という視点を入れてみるのも面白いのではと思って、

ちょいちょい夢の話を交えて書いてみました。

 

ついに産後の話までたどり着いたのですが、

最後の最後に一つだけ思い出した夢の話を書いて、

このブログを終わりにします。

 

これは一人目の子を流産する前に見た夢です。

 

~~~以下、夢の内容~~~

 

私はとても眠い。

うっすら目をあけると、あたりはうす暗くほとんど見えないが、

ここは自分の布団の上であると気付く。

夜明け前と言うより、昼寝しすぎて夜になってしまっていた、という感じ。


すると、どこからか鈴の音がする。

 

チリンチリン、チリンチリン

 

それを聞きながら考える。

あぁ、私のスマホに付けている鈴の音だろうか、

あれ私のスマホどこだろう?

(実際にはスマホに鈴など付けたことないのだが、夢の設定ではそうなっている)

 

まだとても眠いのだが、仰向けに寝転がったまま、

あたりを手探りで探す。

すると、半透明のビニール袋に入った状態で、スマホがあった。

そっと顔の前でスマホを袋から取りだしたその時。

 

ひらりひらり

 

暗がりの中、モンシロチョウよりも小さな、

シジミチョウくらいの小さな小さな蝶が、袋の中から飛び立っていった。

 

その瞬間、私はなんだか大切な物を無くしたような、

とても寂しい気持ちになった・・・。

 

~~~以上、夢の内容~~~

 

鈴の音が印象的な夢も、警告を意味するとか。

たぶん、これも流産を意味していたのではないかと、

後になってから思う。

袋が子宮で、チョウが赤ちゃん。

 

夢占いは好きだけれど、私はどちらかというと、

おつげとか予知夢とか大そうなことではなく、

結局は普段いろんな情報にまみれて自覚できていないだけの、

無意識に自分で感じ取っていることが、

夢として表れているのではないかと思っています。

 

妊娠という自分の体の一大事。

赤ちゃんの安否を思うからこそ、

ちょっとした体の変化に敏感になり意識が集中する。

それゆえに、夢という形で、

特に妊娠中は不思議な夢をたくさん見るのではないかと。

 

以上

一個人の趣味回顧録。

ほんっの少しでも、何か良い影響だったり、共感だったり、

参考になることがあったら良いなと思いつつ。

皆様と、皆様の赤ちゃんの健やかで幸せな未来を祈念致しまして、

このブログを終わりにしたいと思います。

 

ここまでお読みいただいた方、ありがとうございました。

基本的に母子同室の病院だったが、

帝王切開で取り出された娘はNICUへ。

私は麻酔が徐々に切れてきても、

フットマッサージ機(?)やら尿の管やら点滴やら、

とにかくいろんなものが体に接続されていて自由に動けなかった。

術後の夜は39度近くまで熱も出た。

 

旦那がNICUに行って赤ちゃんの写真を撮ってきて、私に見せてくれた。

私はひとまず、自力で立ってトイレに行けるようになるまでは、

体につないでいるものを取り外せないということで、

翌日立つ練習から始めて、立てたら車いすに乗ってNICUに会いに行くことになった。

 

血栓が出来るのを防ぐためにつけられているというフットマッサージ機。

最初こそ気持ち良かったが、こんなにずっと付けられていると蒸れてくるし足が重い。

尿の管もずれないようにテープで止められているのだが、

寝返り打つだけでもテンションがかかって抜けるんじゃないかと心配で、ろくに身動きが取れない。

 

手術の翌朝。

看護師さん「さぁ、ちょっと立てるかやってみましょうか!」

私「このおしっこの管だけでもはずせませんか?動きにくくて」

看護師さん「ちゃんと立ってトイレに行けるまではずせません!むかっ

 

とにかく、立って少し歩けることを証明しなければあせる

大丈夫、痛みに耐えるくらい慣れている。

が、しかし。

・・・・・・あれ、力が入らない。笑い泣き

 

帝王切開で腹筋も切られているので、痛みの前にふんばれないのである。

しまった、ここまでは想定していなかった・・・。

しかし、意地でも立たないと管をはずしてもらえない。

背中は曲がったままだが、必死になんとか立ち上がる。

 

看護師さん「足踏みできます?」

 

私は必死に足を持ち上げようとするのだが、ほんとに上がらない。滝汗

1cmも上がったかどうか微妙だが

「できます!できますっ!DASH!

と言って、なかば強引に管を外してもらった。

 

午後には赤ちゃんのところにミルクをあげに行くことになった。

しかし、思いのほか動けない。

バレたらまたつながれてしまう―滝汗

そう思って、看護師さんが部屋を出てからこっそり立ち上がる練習をしてみる。

 

・・・う、やっぱり立てない・・・。

さっきは意地でなんとかしたが。

歩くなんてもっと無理。

ひとまず車いすに乗り移れないと、赤ちゃんに会いに行けないー・・・。

 

しかし、母というのは強いものである。

いざ、看護師さんに

「さぁ、赤ちゃんのところに行きましょうか!」

と言われると、さっきまで全然ダメだったのに、

思いのほかしっかり立ち上がって、車いすに乗ることができた。

 

NICUに着くと、ちょうどわが子はうにゃうにゃして目を覚ますところだった。

初めてのおむつ替えをして、初めての抱っこをして、初めてのミルク。

「ママ来るの遅くなってごめんね。よく頑張ったね」

 

厳しいことで有名な助産師さんが、私の抱き方にダメ出しをしてくるのだが、

やっと赤ちゃんを抱けたことがうれしくて、自然と涙がこぼれてきた。

(はたから見たら怒られて泣いているように見えたかもしれない 笑)

 

帝王切開すると授乳の開始が遅れて、おっぱいの出が悪くなることも多いという。

そういや授乳のことはすっかり忘れていた。

その場で助産師さんに手伝ってもらって絞ったら、オレンジに近い黄色の初乳が出てきた。

母乳って黄色いんだ!!ポーン

とそこで初めて知った。

そんなことも知らないのかと、やっぱり助産師さんに怒られた(笑)

 

その後は三時間おきに、決められた時間に自分の手で搾乳した母乳を持って、

自ら車いすをこいで、NICUに会いに行った。

術後2日目の午後には、ゆっくりなら自力で歩けるようになった。

 

娘の体調も特に異状なく、2日でNICUを出てきて母子同室となった。

私の方は術後4日目まで毎晩熱が出たり、

6日目までずっと抗生物質の点滴があったり、

下腹部が赤く熱を持っていたりといろいろあったが、

7日目でめでたく母子そろって退院。

 

 

そして今日にいたるまで、娘は元気にすくすくと育ってくれている。

よく笑い、よく寝る、比較的おおらかな子で、

旦那は娘にメロメロ。ドキドキ

 

旦那「どうしよう!かわいすぎる!!」

 

だそうです。(笑)


そういえば、帝王切開にしてよかったことを一つあげておくと…

金銭的に、普通分娩よりメリットがあった(笑)

帝王切開は医療行為なので保険適応、

出産育児一時金も余ったし、

自分が入っていた医療保険から給付金も出た。

赤ちゃんは自ら自分の養育費を稼いで産まれてきたのではとも思ったニヤリ


予定日を一日過ぎた夜。

あぁ、結局今日も産まれなかったなぁ。

そんな事を思いながら布団に入ってうとうとし始めた夜11時過ぎ。

 

それは突然のことだった。

 

じょばーーーードンッ

 

あ、破水した真顔

ってすぐに分かった。

友達も破水から始まったって言ってたし、念のため毎日ナプキンはつけていた。

とりあえず真っ先にスマホを手に取り、布団の上で旦那に電話。

「破水したみたい。まだ誰にも言ってないけど、今から親に言って病院電話して入院になると思う」

と告げた。

「まだすぐ産まれないだろうし、急がなくていいよ」

とも言った。

(ならば真っ先に連絡する必要もなかったのだが・・・笑)

 

恐る恐る布団から起き上がって廊下に出て叫ぶ。

「おかあさーーん!!破水したーーー!!」

母はすでに寝ていると思っていたので、寝室に向かって叫んだが、

まだ起きていてリビングにいたようで、すぐに来てくれた。

(父は毎晩酒を飲んでいたので全くあてにしていなかった。笑)

 

入院の準備はあらかじめしてあったが、最終確認しつつ病院に電話。

できる限り体を横にして病院に来るよう言われた。

 

病院に向かう車の中、産まれないと愚痴っていた友達にもLINE。

「破水した、今から頑張ってくる」

 

もともとLDRでの出産を希望していた私。

1日一万円かかるが、快適さを優先したかった。

運よく2つあるLDRのうち1つが空いていて、そこに入ることができた。

病院に着いて、モニター付けて横になる。

定期的にお腹は張っているが、全然痛くない。

お腹が張るたび、下から噴水みたいにぴゅーっと羊水が出てくるのが分かった。

そうこうしているうちに、旦那が到着。

しかし、いっこうに強まる気配のない陣痛・・・。

結局その夜もいつものごとくお腹の張りはおさまってしまい、翌朝を迎えた。

旦那はソファーベッドで休み、私もわりと良く寝た。

 

翌朝からいよいよ陣痛促進剤を試すことになった。

張りの強さを見ながら、徐々に点滴のペースを上げていく。

朝9時半くらいから点滴を始め、昼になる頃には結構痛みが強くなってきていた。

強めの生理痛より断然痛い。

痛みが来ては「ふーっ、ふーっ」といきみ逃しをしてひたすら耐える。

しかし子宮口はせいぜい2cmと言われる。。。

14時をまわる頃にはもう、考え事などしてられないくらいに痛みが強くなってきてひたすら耐える。

こんなのがいつまで続くのか、もう気が遠くなりつつ、

耐えることさらに3時間半。

 

部屋の外が慌ただしい。

どうやら隣のLDRの人は出産を終えたようだ。

なんなら向かいの分娩室も慌ただしい。

私より後に入院になった人も出産を終えているようである・・・。

 

旦那が腰を押してくれるのだが、どうもポイントがずれている。チーン

助産師さんの手は神に思えた(笑)

痛みが治まっている短い間に旦那に指示。

幸い発狂したり、叫ぶことは無かった。

 

「この辺押してほしい」

「まだ、今じゃない・・・」

「ちょっと違う"ー・・・」

 

陣痛の間隔は1分ほどになっている。

もういっそ意識を奪ってくれとさえ思う。

意識も半分朦朧としているとき、その日の担当の先生の声が聞こえた。

「あと30分点滴続けようか」

 

ゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリ

たったの30分。しかしその時の私にとって30分とはもうとてつもなく長い時間チーン

あと何回この痛いのに耐えたらいいんだと、本当に逃げ出したかった。

(いや、そもそも点滴が終わって陣痛も止まってしまってはダメなのだが、

その時はとにかく30分を乗り切ることだけを考えていた。)

 

一番大事なのは赤ちゃんのはずなのに、

もうそんなこと言ってられないくらいだった。

自分は何でこんなことしてるんだろうっていう、フルマラソン後半みたいな心境。

 

少しして、主治医の先生がやってくる。

陣痛の合間に必死に先生に

「少しでいいんで、麻酔うてませんか?!」

と懇願したのを覚えている。

 

しかし先生、

「うーん、でも今ちょうどいい感じで陣痛来てるんでね」

と流される・・・。

 

ちらっと時計を見ると、そろそろこの点滴が終わるはずの時間。

が、しかし。

「あと30分延長しましょう」

 

ゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリ

もう地獄だった。

しかも終盤、残っていた点滴を絞り切るように入れられた後は、

その日一番の辛さだった。

点滴後の内診中は痛すぎて

「ぐわぁーーーーーーーーーーーーっドンッ

とか悲鳴を上げていたが。

子宮口、3cm。

 

ゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリ

・・・もう絶望しかない。

 

幸か不幸か、点滴が終わるとまた陣痛の間隔が開き始めて3分間隔になる。

すると不思議。

起き上がってご飯を食べようと言う気になる(笑)

 

信じられない!今までの人生、カップラーメンができるまでのあの3分、

たった3分と思ってきたが、3分あると何でもできる気がするクラッカー(笑)

3分て結構長い!!と感激しながら食事をとっていると、

やってきた助産師さんに

「あら、良かった。ご飯食べれるくらいになったのね」

と言われる。

 

あとから冷静になってみれば、本当は良くない。

促進剤で勢いがついて、そのまま自力で出産までたどり着くのが理想のはず・・・。

 

食事を取りながら、陣痛のおさまっている3分の間に旦那に宣言した。

「私、明日も促進剤って言われたら、もう腹切ってくれって先生に言う!!!」

 

その晩、陣痛間隔は徐々に5分間隔になった。

旦那はその日も病院に泊まってくれて、

「ベッドから移動したいとき言ってね」

と言ってくれたのだが。

そんなのいちいち起こすのもかわいそうである。

結局ほとんど眠れぬまま、一晩中5分間隔の陣痛に1人耐えた。

窓越しに中秋の名月を眺めつつ。

陣痛が来た時は、テニスボール、トイレの手すり、壁、

あらゆるものを使って自分でおしりを押してなんとか乗り切り続けた。

朝になる頃にはもう、おしりを押しすぎて、押すこと自体が痛くなってしまっていた(笑)

 

翌朝まず主治医の先生による内診。

先生「あ、夜の間に結構進みましたね!8cmくらいです!」

 

ポーン

私はにわかにこの言葉が信じ難かった。

陣痛の痛みこそひどいが、間隔が狭まってもいなければ、

状況が変わっている実感が全くないのである。

しかしこの時、「絶対帝王切開にしてくれって言う!」という決意が少し揺らぐ。

 

「私も見せてもらっておこう」

と、ただでさえ痛いのだが、続けて助産師さん、

そしてさらに助産師の実習生と3回内診を受ける。

 

助産師さん「あれ、先生張りが来てるときに見ました?今見たらせいぜい4cmくらいなんですけど」

 

真顔ほら来た。

そうだろうそうだろう。

昨日あれだけの苦痛に耐えてやっと3cmだったのだ。

一気に8cmなわけがない。

こっちの方がだいぶ実感にあっている。

再び私の決意が復活してくる。

 

主治医の先生と、当直の先生が2人私についてくれていたのだが。

主治医の女医先生は、ふんわりしてそうで結構大胆な性格とみた。

一方当直の男の先生は、結構淡々とドライな性格のようにみえる。

 

主治医の先生と、当直の先生が交互に話し始める。

当直医「ひとまず選択肢は二つ。今日も同じ促進剤を試すか、もう少しこのまま様子を見るかー・・・」

主治医「今日ももう一度促進剤で頑張ってみましょうか」

 

ゲロー

きたよきたよー、まぁそうだろうよ。

私が医者でもそう言うだろうよ。

と思いながらも、めいっぱいぶんぶん首を横に振る。

(この状況、先生のタイプから考えて、交渉するならこっちだ!と瞬時に判断。

主治医ではなく当直医に目で訴えつつ)

私「昨日ほんとに死ぬかと思いました」

そして続ける。

私「そもそも下から産めるんでしょうか、レントゲンとか撮らないんですか??」

 

当直医「最近は骨のサイズ見ても、産める人は産めるってことが分かってきて、

     あまり意味がないって言われてるんです」

 

ぐぬぬ・・・。そうきたか。

しかしここで折れたらあの地獄がまた待っているのだ。

ここはダメ元でも自分の意志はきちんと伝えるべきだ。

二人の先生に押されそうになりながら絞り出す。

 

私「もう気持ち的にはお腹切って出してくれって感じです」

 

すると思いのほか、当直医の先生はその主張をすんなり受け止めてくれた。

女医先生はこのまま促進剤を続けたそうだったが。

 

当直医「じゃぁあと10分あげるので、ご家族と話し合って決めてください。

     今日は休日なので帝王切開するなら、急いで人を集めないといけない」

 

LDRに戻ると、旦那と姉が待っていて、間もなく両親も到着。

姉と両親「自分の後悔のないように好きにしたらいいよ」

旦那「とりあえず今日の昼くらいまで様子見て、それから帝王切開ってできないの?」

私「今の段階で陣痛の間隔短くなってないのに、昼までに産まれるわけがない。

  5分間隔ってまだ入院の判断基準だよ。」

 

子どもの頃に盲腸で手術した経験があるので、手術に対してあまり抵抗のない私。

自分の意思や動作と無関係に訪れる間隔的な痛みより、

術後の痛みの方がはるかにマシなはず。

 

私「早く赤ちゃんに会おう!

 

そして、ついに帝王切開を決断した。

 

決めてからはあっという間だった。

決断したのは9:40、

10:30にはオペ室に入っていた。

もちろん手術の準備中も陣痛は襲ってくるわけで、

『早く麻酔を!それまでの辛抱プンプン

って思ってた。

実際麻酔が効いてきて、やっと陣痛から解放された時はもう最高に幸せ(笑)

手術に対する恐怖はほぼなかった。

 

着々と手術は進み、お腹をぐぐっと押されたあと、

すぽっと赤ちゃんが取り出された。

赤ちゃんは出てきた瞬間から、予想以上に力強い声で泣き始めた。

待機していた小児科の先生が受け取り、

少しして術中の私の顔のところまで連れてきてくれた。

 

感動の母子初対面!と言いたいところだが、

私はかなり冷静だった。

真っ先に思ったのは、

『あれ、私にも旦那にもあんまり似てない』

次に、

『めっちゃ頭とんがってる。骨盤に押しつけられてたのかな』

そして、赤ちゃんに手を差し伸べかけて、

『あ、待てよ、私手を洗ってない』

 

結局、そっと赤ちゃんの名前を一度呼んだだけで、

触れることもなく初対面終了。

 

赤ちゃんは帝王切開で出されたためか、呼吸音に乱れがあり、

念のためNICUに入ることになった。

 

結局手術してみたら、私も炎症を起こし始めていて、

腹水がたまっていたとのことだった。

結果的には早く帝王切開に踏み切って良かったと言われた。

 

 

回顧録が24wで止まってましたが、

出産までまとめておこうと思い、久々に書きます。

 

 

28wに入る頃から、頻繁にお腹の張りが起こるようになり、

なんなら朝とか一時間に6回張る日もあった。

 

「張ったらちょっと横になって休んで」

とか言われるけれど・・・

 

ちょっとイスから立ち上がる →張る

階段登ろうと一歩踏み出す →張る

帰り道駅まで歩く →張る

・・・・・・

 

いや、こんなんどうすればいいの??

いちいち休んでたら一歩も動けないよーーーチーン

って感じ。

 

念のため病院行ってNSTやってもらったら、

じっとしてる分にはそんなに問題ないけど、

赤ちゃんが蹴る →張る

って感じ。

 

結局張りどめを出してもらって、

4日間様子見の安静となる。

しかし、張りどめの副作用の動悸はなかなかのものだった。

おまけに何しようが張る時は張るし、

張らない時は張らないということに気が付き、

結局4日間安静にした後、再び普通に仕事に行くことにした。

 

里帰りを希望していたのだけれど、実家は地方。

基本的に妊婦の受け入れは拒否していないものの、

早産傾向にある人は、都市部の周産期医療センターへ送られることになっている。

まずい、このままでは里帰りできなくなってしまうかも。。。滝汗

予定日6週間前まできっちり働くつもりだったが、

助産師さんには

「そんなぎりぎりまで仕事するの?!早く帰らないと帰れなくなった人もいるよ!!」

と言われる。

しかし先生には、

「いや、今の状態で帰ったら、むしろこっちに戻されてしまう・・・」

と言われる。

 

もしかしたら、突然入院とかになっちゃうかもしれない・・・あせる

そう思ってから、仕事は完全引き継ぎモードに集中。

とにかくこれまでの進捗、休職中にやってもらいたいこと、手順を一気にまとめまくった。

結局、体調を見ながら32wで有給を使って早めに休みに入ることにした。

 

実家に帰って、ひとまず37wに入るまでは運動もほどほどにしつつ、

ひたすらのんびり過ごす。

しかしこれが暇すぎる。暇すぎて死にそうゲッソリ

勉強道具持って帰って来たけど、これをやる気にはならない(笑)

そこで始めたのがこのブログニヤリ

 

 

37wの検診では

先生「うーん、子宮口1cmくらい?まだまだだねー」

 

しかしいわゆる内診ぐりぐりの効果か、診察後結構お腹が痛い。

あれ、これ10分間隔でお腹張ってるんじゃね?

もしかして生まれる?!?

って思ってカウントすること10時間・・・

結局7分間隔くらいまで行って、そのあとぷっつり張りがおさまる。

これが前駆陣痛ってやつ???と思いつつ、

結局その後こんなことが何回もあって、

毎回もしや?!って思うのに、38wの検診も子宮口1cm。

診察の翌日には、少量出血と共に粘液栓も出たのに。。。

 

そして、39w4dの検診も子宮口1cm・・・

これじゃ生まれる生まれる詐欺状態爆弾

 

先生「やわらかくはなってるんですけどねぇ、、どうしましょうかねぇ」

 

日中の気温35℃越えの真夏、毎日朝や日没の時間を選んで一時間くらいは散歩してるし、

拭き掃除もやってみたし、スクワットもやってる。

なんならオロナミンCも飲んでみた(笑)

赤ちゃんは臨月に入ってからものすごい勢いで成長しているし、

おまけに私の体重もものすごい勢いで増加中・・・笑い泣き

毎日頑張ってお腹の保湿してたけど、ついに妊娠線が出現・・・ゲロー

 

私「こんなに大きくなってきて、もはや下からちゃんと産めるのか不安です・・・」

 

妊娠初期に「もしかしたら帝王切開になるかも」

と言われていたのを思い出した。

その時は、

「母も姉も身長同じくらいですが、普通に産んでいます!」

と言って、下から産みますアピールしていたことを若干後悔すらし始めた。

 

よくよく考えたら、父も義兄もそんなに身長高くないし、

母と姉が産んだ時は胎児も小さめだったのだ。

しかし、うちは旦那もそこそこ身長があるうえ、

赤ちゃんは順調に推定3000gを超えるまでに成長。

条件がそもそも違うのでは・・・。

結局、予定日過ぎても生まれなかったら入院して促進剤を試すことになった。

いつから促進剤を始めるか、選ばせてもらえたのだが。

「いつ生まれるか、人生最初の選択だぞ!

 自分で決めて出ておいで!」

と日々お腹に語りかけていた私。

(そのわりには、パパが出張だからこの日はだめだとか、なんだかんだ言ってたが・・・笑)

予定日過ぎたからってすぐ促進剤!ってのもなんだか可哀そうな気がする・・・。

 

結局入院は40w6dからすることとなった。

まぁそれまでに産まれてくれたら万々歳なんだが。

予定日の3日後は満月。

大潮の時期は出産が多いと聞くし、実はこのあたりで産まれるのでは、

とも思っていた。

 

入院の説明を受けてから助産師さんに、

「今の時期、朝5時くらいには明るくなってくるから、

 早起きして一日2時間は歩いてください。

動いてたら必ず赤ちゃんは下りてきます」

と言われる・・・。笑い泣きガーン

 

しかし、これで私の闘志に火がついたメラメラ

次の日から、朝7時に水筒と朝ごはんを持って、

二時間の散歩に出かけた。

途中で行った先の公園で休憩しつつ。

まだまだ残暑厳しい季節、帰ってくるともう汗びっちょりなのだが、

下りてこーい!!って気持ちで、

もうとにかくドスドス歩いた。

気温の高い日中は、家の中で階段昇降したりスクワットしたりと、とにかく動いた。

 

おなかの赤ちゃんは元気すぎるくらいで、

ドシドシ中から蹴ってきて場所が悪いとかなりの激痛ドンッ

 

一定間隔のお腹の張りはほぼ毎日あるけれど、いつもそのうちおさまってしまう。。

いろいろネットで調べてると、児頭骨盤不均衡の場合、

微弱陣痛になったり、分娩停止が起きたりすると書かれている。

もしかして前駆陣痛だと思ってたのは微弱陣痛だったんでは??

頑張って出てこいとか言い続けてたけど、出たくても出れないのでは??

そんなことを思い始め不安になってきて、

「頑張れとか言ってごめんね、ママのせいだよね汗

って言いながら大きなお腹を抱えて泣いた。

 

いよいよ予定日を一日過ぎ、焦りが出てくる私。

地元の友達に

「生まれないよぅ笑い泣き

と愚痴LINE。

その友達はちょうど満月の日に出産していたし、

調べたら、私も旦那も満月前後の大潮の時に産まれてる。

友達に散歩に付き合ってもらいながら、

「あと2日で満月。大潮の時期に入ったしそろそろかなぁ」

なんて話していた。

 

そしてその夜、ついにやってきた・・・!

 

(次につづきます。)

 

 

 

妊娠してから仕事も引き継ぎがメインとなり、

なかなか長期戦の新しい案件に取り組むこともできないため、

せっかくの機会だということで、

講演会や展示会には積極的に出かけるようにしていた。

 

7か月目に突入するころ、

ぼちぼちお腹も大きくなってきて、

さすがに展示会で長時間立ちっぱなしの歩きっぱなしは体にこたえる・・・ショボーン

というわけで、興味ありそうな無料セミナーを予約しまくって参加した。

 

少しでも座る時間を確保できるようにと思ったが、

これが誤算だったかもしれない・・・プンプン

 

展示会のセミナールームの椅子は普通のパイプ椅子。

長時間座ってると、結構おしりが痛くなってくる・・・

 

二日連続足を運んだあと、悲劇は起きた爆弾

 

なんかずっとおしりが痛いなぁとは思っていたのだが、

家に帰ってすぐシャワーを浴びてびっくり!!ポーン

 

なんか、おしりにイボがデキテルー笑い泣き

 

グリーンピースサイズの豆がぼっこり膨らんでいるのに気が付いた。。

痛みの原因はこいつだったのだ。

 

そういえば妊娠すると痔になりやすいとは聞いていたが。

人生初のイボ痔あらわるガーン

 

姉に相談すると、ボ〇ギノールM軟膏は妊婦も使えるとのこと。

 

まだ仕事から帰っていない旦那にLINEで

「イボ痔になったーえーんボ〇ギノール買って帰ってきてー」

と、薬の画像付きで要望。

 

しかし、帰ってきた旦那は手ぶらだった・・・チーン

続けて他の件についてもLINE連投したのが良くなかった。。

 

何をどう読み間違えたのか旦那、

「帰ってきたら薬ぬってって言ってると思ってた」

 

・・・チーン

 

んなこと頼むかーっ!!爆弾

 

と、激しく突っ込みを入れ、ご飯を作っている間、

ドラッグストアにお使いに行ってもらった。

 

イボの痛みは3日ほどでだいぶ落ち着いたが、

1週間はプリっと張りが健在。

その後徐々にしぼんで、肛門の一部であったかのように収まっていった。

 

これで終わりだと思っていたのにー・・・

なんと8か月目に入ってからも、

特に何をしたでもなく、お尻の痛い日があり、

家に帰ってびっくり滝汗!!

 

なんと、この前のしぼんだイボの隣に、

新たに銀杏サイズのイボ出現チーン

 

おかげでしおれてたグリーンピースサイズも一緒に押し出されたようで、

おしりに仲良く二つもイボが並んでいる・・・爆弾

 

ずっとドーナツ座布団買うか迷ってここまで来たが、

さすがにあきらめて家用と会社用二つ買いに行った。

 

後に助産師さんに相談したところ、

「ひどい人はお花が咲いたみたいになってるよーニヤリ

とのこと。。

 

お産でこれ以上新たなイボが増えないことを願う汗