「闇草紙」ー其の人の名はー
いつから彼女が住むようになったのか 誰も知らない気づけば そこにいて周囲の人々へ不思議な影響を与えるようになっていた流れる川の底の土をすくい それらをこねて形あるものが造れることを教え導きその造形物は売れて・・・収入となった貧しかった地域は少しずつ 暮しが楽になっていく彼の地を治める一族も 常に厳しく生きていたが いつもしかつめらしく寄せられていた眉も 眉間のシワも消えて穏やかになる生きることに必死だった 生きるだけで精一杯だった人々は 心にもゆとり持ち暮らしていけるようになる彼女は何者だったのか人々が笑顔のうちに暮らせるようになって・・・しばらくして彼女の姿は消えたまたある場所では 荒れた寺 忘れ去られた寺の近くで暮らすようになった女性は 毎日 その寺へ通い壊れた所は修繕し 古びた場所も掃除し続け やがて輝くほどに磨き上げた評判を聞いて 都の寺から訪ねてきた若い僧はその様子にいたく感心し 自らねがって この寺で暮らすようになる寺から読経の声が聞こえ始めるとおそるおそる様子を眺めていた人々は いつしか寺に集うようになった信心 信仰心は取り戻された人々の素朴な心善でありたいという希〔ねが〉い彼女は それを導き 人々が穏やかな心を取り戻すと・・・ひっそりと消えていくいったい彼女は何故 自分には何の得にもならないことを繰り返し続けているのかただ彼女は不意に何処かへ現れる地域に溶け込み 誰もそれを不思議と思わず彼女の姿が消えても 不審に思う者はいない彼女は長いこと そういう存在だっただから ある場所を去ろうとした時に 手首を捕まれ「行くな」と言われて随分と驚いたもう ここの人々も自分の存在を忘れ去る頃・・・そう思っていたからだまた別の住民は言う「教えられたとおりに作りましたとても美味しくできました召し上がっていただきたくて」差し出すザルの上には薄赤い色の餅また別の女性は言う「こちらも食べて下さいな」その女性のざるには緑色の団子彼女は戸惑うこんなことは これまで無かったから何かに運ばれるままに彼女は移動する置かれた場所で そこでの生活が穏やかになるように ただ動いてきただけだ去ることを気づかれ 引き留められることなど いままで無かったけれど 彼女は去らねばならないそれが掟ゆえに彼女が去ったあとの地が いつか争いに巻き込まれ滅びるとしても彼女にできるのは ひとときの平安を与えるだけその平安を 人々がまもりつづけられることを ただ祈るだけそれでも時々彼女は思う自分は何者なのか自分が従っているこの「掟」とは誰が決めたものなのかーあなた様は まだ自分が何者なのか 思い出せずにおいでなのですねー彼女の肩にとまった白鴉が溜息をつく白鴉は諦めたような口調で呟くーその掟は あなた様がご自身でつくられたものこう存在すると ご自分でお決めになられたのでございますよー「わたくしが?」ーさようでございますまるで ご自身の存在を呪われるかのようにーーあなた様は絶望されていたのでございますその絶望の深さゆえに ご自身が何者かすら 御心から消し去られてしまったー「それで わたくしは 何なのです」ー思い出されない方が お幸せでございますお教えするのは やめにいたしましょうー彼女を他の場所へ運び 白鴉は何処かへ消え去ったーあなた様は 愛と平和と希望をつかさどるお方消し去っても消し去っても ある種の人々は 権力を希求し 己のどす黒い欲望の為に 多くの人々の命を人生を蹂躙し幸福を奪う平和な生活を破壊し 美しい場所も崩壊させてしまうそれでも あなた様は たとえ徒労であろうとも 人々への献身を続けられているそのお姿を ただ見続けていることは とても辛いのですけれどねー