マインドは

決して満足しない。

 

何かを手に入れても、何かを達成したとしても

本質的には決して満足できない。

 

絶対的に満足できるのは

 

自分自身に眠っている「愛」でしかありえない。

 

別に探したっていいよ、人生だもの。

 

別に見つけられなくたっていいよ、それからゴールが始まるもの。

 

言葉に矛盾があるようだけど、ゴールは始まりでしかない。

 

ここでいうゴールは「諦め」だ。

 

自分自身が決して離せなかった固定概念がそこにある。

 

手放せた、わからなかった、達成できなかった

 

もゴールになりうる。

 

やっと新しい 視点 が手に入るからね。

 

良くも悪くも僕らは常に 「流れ」の中に住んでいる。

 

神が決めた「流れ」 だね

 

神とはなんだろうね。それは今かんがえる必要はない。

 

ただし、神は存在するし存在しない、

まあ、

それが答えとしか言いようがないし

別にいるいないを決定つける必要もない。

 

ただし、誰がどんな宗教をもっていようともっていまいと

 

ここで言う流れを生み出している「神」は

 

すべての人を平等に分け隔てなく 愛している

 

僕らはただそれを享受できればいいだけなんだ。

 

その神の愛を受け取るのに必要なことこそ 瞑想

 

瞑想によって自分の中に埋もれている数多くの

 

自分を嫌ってやまない自分がいる

 

自分を否定し孤独だと断言する自分がいる

 

それらの自己否定的な自分を解きほぐしていく。

 

すると、本当に不思議なことに、

 

なぜだか理由なく、

 

自分を愛せる日がやってくるのを確認できる。

 

するとなんだかわからないが、

 

神がいようといまいが

 

姿があろうとなかろうと

 

仮に神がいるのであれば

 

私は無限大に神に愛されているであろうと

 

信頼することだできる。

 

多分人生において、真実はなく

 

ただ、心が温かいこと、優しいこと、幸せなことだ

 

必要なだけなんだと思う。

 

自分の中に隠れている愛は

 

無意識下の自分のさらに下にいる。

 

もうここまでくると神も何もへったくれも無い。

 

ただただ、

 

気分が良いだけだから。

 

自然をみて透き通った空をみて、

 

全てに愛されている感覚こそ、

 

幸せの大根底であると

確信できる。

 

おしまい^^