20年ほど前
フラメンコを習っていました。
1992年にバルセロナでオリンピックがあった時(当時29歳)開会式で見たフラメンコに憧れ続けること10年。
カルチャーセンターに見学に行きました。
そこで見た、綺麗なお姉さま方の踊り。想像していた以上のかっこよさに2時間食い入るように見続けました。
そのまま、取り憑かれたように入会しました。
やってみると、見るのとやるのでは大違い。
過酷過酷。
でも楽しい。
そのうち、年に一度の発表会に参加することに決めてからはますます過酷な練習が続きました。
とにかく、踊りを覚えるのが難しい。
世の中に蔓延る音楽って、だいたい、8拍で一回り。
でも最初に覚えることになった「アレグリアス」(意味は確か歓喜)は12拍で、最初は12から始まります。
12.1.2 3.4.5 6.7.8.9.10.11
12.3.6.8.10にアクセントをつけます。
頭の中で、12の時の動き、1の時、2の時、を考えながら体を動かします。
それも、1を6分割してその4番目からかかとで入る、とか。
わけわかんないでしょ?
まったく説明できません。
金曜日カルチャーセンター、木曜日と日曜日は片道40分かけて教室へ。
月曜日は同じ踊りの仲間で、集まって練習。
残りの日はご飯食べて後片付けしたらへやにコンパネ敷いてひたすら練習。
あの時はいくら食べても太らず、腹筋の線もついてたな〰️(遠い目)
とにかく、知力、体力、そして、財力も必要でした。
ヘソクリを使い果たした。
でもあの時頑張れた自分に自信がついた。
自分にも成し遂げられるものがあったんだ。
体全体で感情を表現出来ることは快感。
部活のような過酷さだった。
ひと踊りすると、床にデカい汗のシミが出来る。
着替えた練習着を余裕で絞れる。
水分補給は水やお茶はまったくダメ、濃いスポーツドリンク、アクエリアスはだめでポカリスエット一択で、なんとか体力を維持できてた。
先生が厳しく、かつ、理不尽だったので生徒は団結してみんな仲良かった。
結局先生が「あなた達にはもう教えません」宣言で解散したのですが、それから20年経っても仲良し4人組でほぼ毎月女子会を続けています。
4人で旅行もして、函館、韓国など思い出たくさんです。
そのうちの一人とスペイン旅行もしてサグラダファミリアを見るという夢も叶いました。
去年の夏、仲良くお揃いでコロナにも罹患しました。
7人で女子会して、かかったのがあたしたち4人って、どんだけよ。
前置き長かったけど、今日また4人で女子会です。
あの日カルチャーセンターに見学に行ってなければ決して交わることのなかった人達。
全ての出会いに感謝です