友達が亡くなった。死んでしまった。

昔の頃を知っている。沢山話したことがあるわけではなかったけど、その頃の記憶はきちんとある。

表現活動をしていた友人。


歳を重ねて、私も表現をする側になった。規模の大小はあれど、私は私でインディーズの規模感で頑張っていた。いつの間にかプロレスを好きになっていたらしく、地元の友人がプロレスラーになっていたとどこかで察知したらしい


大人になって特に接点を持ったわけではないけど、「お前も頑張っているんだな」という互いのエールをなんとなく感じていた。


この「お前も頑張っているんだな」というのがある程度の年齢になるととても良い効果をもたらしてくれる。気力、体力だけではどうしようもない何かが壁となる瞬間がある。そんな時、地元のアイツも頑張っているんだなと思ったら、不思議と自分も頑張れてしまう。理屈じゃない何か。同じ地元の駅、同じ空気、同じ景色を見てきたからだろうか。小さい頃のお前を知っているから、今のお前に感慨深くなれるという感覚が互いにあったのではないだろうか。


そうしたものが突然なくなってしまった。信じられないが事実だ。

私はそれを受け止めてこれからを生きていかねばらない。


まだ沢山のことをやりたかったのではないか。挑戦したかったのではないか。

まだ互いにエールを送って高みを目指せたのではないか。


そんな気がしてならない。

格別、仲が良かったわけではないけど、強い喪失感。


死が怖くなり、もっと生きたいと思った。

もっと見てもらいたかった。リングにいる自分を。タイトルマッチに臨む自分を。

何度か観戦を誘ったが、タイミングが合わなかった。

もし見てもらえていたら、何かを与えられていたのだろうか。

もし見てもらえていたら、今と違う結果になっていた可能性はゼロではないんじゃないか。


それは違うよ、と言われてしまうかもしれないけど、そう思いたくなる自分、何かを与えたかった自分がいる。


悔しい。残された。

私は生きる。また頑張る。コツコツと自分の取り組みをこれからも頑張っていくと思う。


昔からエグいほどに夢を追う力が強い人だった。同じ土地で育った人間として誇らしさがある。

これから私は頑張って生きる。折に触れて、きっと思い出すだろう。

その時は、そのあなたの夢を追う力を思い出して、自分の推進力になってくれるに違いない。

ありがとう、お疲れ様でした。というのが正直な気持ちだ。

ゆっくり休んでほしい。