「生きることは素晴らしくて・・・」

この歌詞をふと音楽で聴いて久々に日記を書きたくなりました。

 

2年前に大失恋の上、上司からの高圧的な指導をきっかけに(あくまでもきっかけ) 自律神経失調症、抑うつ病、不眠症等を併発した私。

そして闘病中だった1年前、この世を去ろうとしていた私。

 

その私がここまで回復する日が来るとは思っても見ませんでした。

 

一度休職し、復職するもうま体調が治らず退社ののち、実家へ戻るという都落ち。

なぜ自分が仕事を一度辞めなくてはいけないのか自分で自分が理解できないまま、実家に帰った。

帰ったら安心するかと思いきや、「もう私には東京に帰る場所はないんだ」そう思うととても悲しかった。

それは自分の足で東京でもうちょっと頑張りたかったから。

 

半年の無職(治療期間)を経て今年の5月から事務兼接客業として東京でやり直し図ることができた。

9月から新しい少し難易度の高い部署になり、消費税増税前の駆け込み需要もあり神経を久々にすり減らしていた毎日。

正直やっていけるのか不安になることもあった、会社に行くこともいやいやながら家をでることもあった。

もちろんこれは誰しも経験することではあるのは承知でありますが。

 

病気になりかけのとき、仕事でPCへの自分の手が動かなくなる自分を見た時はショックでした。

その経験があるからこそ、繁忙期というのは私にとって怖いことでもあるのです。

 

◆2年前の失恋と精神病

私は2年前、二股を知らずに掛けられていました。そして共通の友達づてで「私の相手の人と他の女性が結婚する」と聞かされました。

その共通の友達は私とその相手の関係は知らなかったので罪はもちろんありません。

 

私は、それこそ地獄に落とされた気分でした。

何も手に付かなくなりました。私はずっと騙されていたんだと。

どうして気づかなかったんだろう自分はと相手への怒りよりも自分への怒りがこみ上げました。

自暴自棄になりました。

包丁を自分に突き付けては死のうかとも考えたくらいです。

実際包丁を胸に当てましたが、死ぬという選択はできませんでした。

 

それと重なって、転職したての会社でのOJTの先輩が高圧的でとても気持ちが付いていけるような人ではありませんでした。

私は勝手に涙が出てくるのを押さえられなくなり、ごはんが食べられなくなり、朝起きられなくなり、、体調はどん底におちました。

それが自律神経失調症と抑うつ病です。

 

◆2年経った今。。

私はあれから約2年後の今。また恋をしてみたいと思えるようにまで回復しました。

マッチングアプリを登録してみました。

以前も登録しては何人かとお会いしたことはあったのですがイメージが違かったりと恋に発展することの難しさを感じていました。

 

部署を異動した9月1日。

ふとアプリを開いて見つけたMさん。

なんといいね数が350ぐらいもある人気会員でした。

私は少し尻込みしましたが、マッチングしたらいいなくらいにいいねを押していました。

いいねをしてもマッチングする率ははるかに低いと知っていたからです。

 

9月2日。

朝起きてスマホを見るとなんとまさかのマッチングをしていました。

とりあえず何から話したらいいのか。。自己紹介後の一発目の話題に悩みました。

マッチングアプリの難しいところは、マッチングしたからと言って連絡が来るわけではないからです。

マッチングしといて放置する人も多いです。

 

返ってくるかな。。と不安になりつつ始まったやりとり。

お互いのテニスというキーワードで共通点が広がりました。

お互い水泳やらテニスやらやっていたことが同じだったのです。

 

理系だったMさん。

理系のイメージで、冷静、たんぱくでマイペースというイメージが強かった私は、

返事も遅いのかなと思っていたら、なんとぽんぽんとペースよく返してくれる人でした。

 

私の忙しくなった日々の中にひとつの楽しみが生まれました。

 

毎日朝から晩まで時間があれば返し続けていた二人の連絡はとてもテンポのいいものでした。

連絡を取り始めてから3週間ほどたった頃。

そろそろ会ってみてもいいんじゃないかと私は薄々思いつつも、男性から誘ってほしい気持ちでご飯の話を仕掛けますが、

一向に話はそういう話にならず。

結局私が誘うことになりました。

 

彼は同じ東北出身者でした。ますます共通点が増えました。

会うのが楽しみになりました。

 

会う前のやり取りで前の彼女彼氏の話になったとき、

前の彼女は社内だったんだけどありえないことが起きたんだよ~今度聞いて!と言っていました。

なんだろう。。敢えて聞かずに分かったと答えました。

 

◆彼の壮絶人生

会う日の当日。私は仕事終わりで会う予定でしたが、朝から何を着ていこうか、靴はこれでいいか、など、

久々に恋する乙女といったようなことをしていました。

それだけ共通点が多かったので、楽しみにしていたのです。

 

病気をしていたときは家族と病院の先生くらいしか会ってなかった私は、久々に男性(異性)と2人で食事をするということに

とても胸が張り裂けそうなくらい緊張をしていました。

彼を見つけると、何から話そう。。そんな勢いでした。

 

マッチングアプリには自分の顔写真を載せていますが、それとイメージが違う人もたまにいるのです。

でもMさんはイメージと近い人でした。少し写真よりやせていたかな??

 

食事をしながら、例の元カノさんの話になりました。

私はなんだろうと軽い気持ちで聞き始めましたが、なかなかの衝撃告白でした。

彼の話では、その彼女さんとは婚約までしたといいます。結婚直前になって、彼女さんの方が、昔のケンカしたときなどのことを引っ張り出してきて、ここが良くなかった、あそこが良くなかったと言い、婚約破棄を申し込まれたという。

もう両家の挨拶も済んでいたというときに。結婚指輪も一緒に住むときの家具も買っていたというのに。

 

結局別れることになり、彼はかなり落ち込んでいた。

しかしその上にさらに降りかかってきた不幸に、その(元)彼女さんが彼の部署の後輩と結婚したのだそう。

なんて壮絶なドラマのような話なんでしょうか。

 

私はなんてフォローしたらいいんだろうかと一気に脳内のあらゆる言葉の引き出しを開けるように脳内を探したがが見当たらなかった。

その上、その頃の彼は、上司が高圧的な人で苦しい会社生活も送っていたらしく円形脱毛にもなったそう。

 

私はそれを聞いて皮肉?にも似ているなこの人と思った。

私も失恋をし、高圧的な上司に見舞われ、、最後は(病気になっては)円形脱毛もできた。

 

彼は違う角度から見ればある種「婚約破棄された男」となるわけだが、

幸せが待っていた矢先にそんな仕返しのようなことがあろうとは思っても見なかったでしょう。

彼がその当時どんな思いで過ごさなきゃいけないかと思うと心が私も痛んだ。他人ながら。

別れて会わなくなるならまだしも、社内の人間で、結局結婚を選んだ相手も社内のしかも自分の後輩である。

しかも2年経った今もみんないるというから驚きだ。

 

でも一方でMさんがその方とうまくいっていたら私は今この人と会っていないんだなと思うと不思議にも思った。

その一方で2年かけて辛かった過去を他人の私に話せるようになるまで笑い話のように整理できた彼は単純にすごいと思った。

私は、自分が病気になったことを未だに整理できていない。

それは社会の精神病への偏見を考えてしまうからだ。

 

◆人生悪くもない

彼と今後またごはんにいけることになったし、毎日のようにやり取りしている。

2年前は私はこれでもかと言うくらいツイてなかった。やることなすこと、もがいても悪い方向しか進まなかった。

自分で自分の体調をコントロールできない現状に自分で失望したくらいだ。

死のうとも考えた。

 

でも今では回復をし、社会復帰をし、普通のごはんを普通においしいと毎日感じられる日々だ。

鬱になって食事の味さえ分からなくなることも半年続いた。今や昔では考えられないがお弁当も毎日持っていき、

お惣菜を買うことはない。それだけ食のありがたさを感じている。

 

昔は愛情不足で生きている意味が分からなかった。

もちろん今だってわかったことではないが、言い換えれば「自分の存在価値が分からなかったのだ」。

幼い頃から家族内の荒波にもまれ、自分はどう生きたらいいのかわからなかった。

 

でも今は自分の足で確実に生きることを見つけた、それが分かった。

他人の評価なしには生きられなかった私は今、自分の生きたい方向に進めばいい。それだけのことを知るのに十数年かかっていた。

今はとても心が軽くなった。

 

家族なんて作るものじゃない、夫婦なんて作るものじゃないなんて思ってた時もあったが、

いまでは将来を思い描いている自分がいる。

 

もちろんMさんが私のいわゆる運命じゃなくてもだ。

 

それだけでも大きな進歩である。

 

「人生は素晴らしい」とは残念ながら思えないが、「人生生きているのも悪くない」とは思えるようになった。

 

他人と心通わせることの楽しさを思い出させてくれたからかもしれない。