yumearekaのブログ

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60代も後半に入り、今後の実りある年月をめざし,
日常の身辺雑記、忘備録、回想録(未来よりも過去が長いので)など、記してゆきます。

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 学生の頃、○○文芸という同人誌の末席にいた、

学生の文芸サークル誌よりは、格段に上質であり、

大手書店でも販売されていた。
 一年上の先輩にS女がいた。互いに詩作をしていたので、

いつか「二人集」のようなものを出そうねと、話会っていた。

折から彼女の学園祭、そこで手製の「二人集」、一部100円で売ることにした。

 キャンパスの通路に広くなったところがあり、

そこに構内から攫って来た机と椅子を置いた、

看板は学園紛争の活動家が残したものを、リニューアルし、

タイトル「二人集」、サブタイトルとして『<存在の耐えられない軽さ>

に、耐えているオンナふたりの詩集』、と、ペンキでアート風に書いてみた。 

 私たちも何かパフォーマンスをしなくては… ということで、

<存在に耐えている>ふうな顔のメイクをすることにした。

丁度、その頃フーテン族というのがはやっていて、

それに真似たちょっと虚無っぽいメイクだった。

 出来上がった互いの姿を見て、私達は大いに笑った、

「こんなで恰好でずっと座ってるの、恥ずかしくない?」

「いやいや、私たちは<存在の耐えられない軽さ>に耐えているんだから…」

 少々の羞恥心もあったが、それよりも、変身願望の方が大きかった、が、

やはりスタートと同時に、みんな私達をじろじろと、

なかにはクスクス笑いながら通り過ぎてゆく。
そのうち男子学生が「それ、同性愛の詩?」と言ってきたので、

「えぇ」と私たちは顔を見合わせ、さっそく サブタイトルの下に

赤のマジックで<同性愛ではありません>と付け足した。
結局、四時間ほどで人目に晒されるパフォーマンスは終えた。

売り上げの2400円は、その後、繰り出したお好み焼屋で使ってしまった。
   もう45年ほど前の話である。

「始皇帝と大兵馬俑」展  東京国立博物館


兵馬俑博物館 2002年撮影


私が観たかったのは、第二会場

〈第三章 始皇帝が夢見た「永遠の世界」―兵馬俑と銅車馬〉である。

 13年前、西安の「兵馬俑坑博物館」で、

まるで巨大な体育館から見下ろしているかのように、

軍団が整列する坑のパノラマを見て以来である。

 あの時は、あまりにも遠くて、一体一体の細部を

みることはできなかったが、
今回の展示では、全方向から身近で観ることができた。

 兵馬俑は将軍俑・軽装備の歩兵俑・重装備の軍吏俑・

立射俑・跪射俑・御者俑・馬丁俑・軍馬・騎兵俑など、

様々な種類があり、中でも巨漢の雑技俑は、七福神の大黒天を思わせ、

厳めしい兵馬俑の中にあって、ユーモラス、異色であった。

兵馬俑は(墳墓に副葬された兵士や馬など、

ほぼ等身大でかたどったやきものの像のこと)

 1974年、約8000体もの軍団が始皇帝の巨大な陵墓のほど近くで

発見され、20世紀最大の考古学的発見のひとつといわれている。

 銅車馬も圧巻であった、

実際に始皇帝が乗ったと思われる馬車を再現している。
それにしても何故、始皇帝は兵馬俑や銅車馬を

陵墓の周囲に埋めさせたのであろうか?

やはり死後も皇帝として永遠の世界支配を夢みていたのであろうか?


「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展 サントリー美術館






 東京ミッドタウンで友人と待ち合わせ、

 その前にミッドタウンにあるガレリア3Fで開催されている

久隅守景展を観た。

 久隅守景は狩野探幽に師事し、波乱万丈の人生を送り、

出生、没年など不明であるという。
残念ながら国宝の「納涼図屏風」は展示されていなかったが、

「四季耕作図屏風」がよかった。

田起こしや田植え、稲刈り、脱穀といった稲作の流れに、

母親に抱きつく幼子や闘鶏に興じる男たち、

機を織る人、牛を引く人、遊ぶ子供たち、雨宿りする人たち、

鷹狩りや闘鶏など、さまざまな情景や暮らしぶりが描かれ、

その人々や動物の表現の豊かさに見入ってしまった。

 守景のゆったりとした人間味溢れるまなざしを思わせる展覧会であった。


東京ミッドタウン
ミッドタウンは初めてであった、

フアッシナブルで、若者ばかり、というイメージがあり、どうかしら、

と思っていたが、実際、散策すると、子を連れた夫婦がいたり、

私たちと同じ熟年世代も多く、「以外とブラつきやすいところね」と

友人と言い合った。

 夕食はガーデンテラスで、ヘルシー志向の私たちは、

中華や天婦羅ではなく、本場のカレー料理を食べた。

 帰りは電飾を見ながら、乃木坂駅まで。

 自宅に着き、ふと思った。

プログの読者数が少ないと嘆いている私に,

友人は「いつでも読んであげるよ}と,景気よく言ってくれたのだが、

本当に、読んでくれるのだろうか? 

なにせパソコンは3日に一度、ガラ系のケータイは

着信音が鳴った時だけしか見ない人だから…、

 でも,私もプロブの更新、遅いので、
まあいいか。


去る日曜日、東京都美術館のモネ展と、永青文庫の春画展を観てまわった。
夕方は有楽町で友人と会うことになっていた


東京都美術館 「モネ展」





モネの作品を鑑賞するのは、3年前のオルセー美術館以来だ。
晩年の「睡蓮」も観たいと思っていたので、今回のモネ展は楽しみにしていた。


入館してすぐ目に入るのは「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」
風景を覆い隠すように描かれた蒸気機関車の煙や水蒸気、これこそモネだ。
鉄道に代表されるような当時の機械文明や近代性というものには関心がなく、
煙や水蒸気を描くことによって、鑑賞者には駅の雰囲気や、喧噪や移ろい、

匂いまでもが伝わって来る。


 光の移ろいや、印象が織りなす色彩と明暗は、モネのどの作品からも窺がわれるが、
晩年の「睡蓮」の連作は、白内障を患いながら描き続けたせいか、

鬼気迫るものがあった。

私が好きなのは緑色が多用されている睡蓮の絵である。
睡蓮の群生が左上と右下に描かれ、淡い陽光が池面に反射しているのであろうか、
青でない緑が、幻想性を醸ちだしている。


 『日本風太鼓橋(日本の橋)』も凄い。
最晩年期の代表作のひとつ。
太鼓橋としての形は認識できなかったし、

水面に反射する木々や水草の形状はだだれたように揺らめき、、
遠景の庭木々は形もなく、様々な色が塗り重ねられただけである。
抽象的な現代絵画を思わせた。



永青文庫 「春画展」





  2年前、大英博物館で開催され大好評を博し、

凱旋展とも言える日本で初めての展覧会。
  主催者は約3カ月の会期全体で、8万人を見込んでいたが、

最初の1カ月で6万人を超えたそうだ。


 未婚の頃、古本屋で一瞥したときのグロテスクなイメージを払拭したいと思い、
菱川師宣、鈴木春信、喜多川歌麿、葛飾北斎といった

一流の絵師達の春画を鑑賞したかった。


  会場は立錐の余地がないほどの混雑、見たところ、30代の女性が多いようであった。
前には女性がひとり、後ろには未婚と思われる学生風の女性に囲まれて、
ほとんど進まなかった、おかげでじっくりと鑑賞できた。


  肉筆画では、野沢堤雨筆「秘戯図巻」がよかった。
見開きの桜花と楓の模様が、青々とした水流に混って妖艶であった。
この燃えるような赤の紅葉は女、やさしい白の桜花は男を象徴している様に思われた。
引き寄せられるる女には、恥じらいの様子がみられ、生々しい。
このような繊細な線描による男女の肉感は、見事なまでに表現され、
線と色彩の美しさは素晴らしい。


  バラエティに富んでいるは木版画だ。
さまざまな階層の人々が登場する人間模様や構図の面白さ、

内容もユーモアや機知に富んでいる。
「風流艶色真似ゑもん」鈴木春信では、豆のように小さくなった男が、
多様な愛

を交す場面を見て回る様子が描かれ、「枕絵組物」杉村治兵衛では、ついたての向こうの女中や、障子のすきまからのぞく女たち、
「若衆遊伽羅之枕」菱川師宣では、覗いている若衆が描かれている、

 これらの覗き見達はユーモラスだし、憎めない。
そして、いつのまにか、これらの覗き見と同じ視線であるのに気づく。

 これほど覗くという行為が描かれるのは、障子や襖、衝立や蚊帳で隔てられ、
隣の部屋との境がはっきりとしない家屋のせいだろうか。
仕切るものがないということは、外界との境界を曖昧にしてしまう。
これら春画の世界では男と女、内面と外面ば混然一体となってしまっている。


 春画は、枕絵や笑い絵とも言われ、貸本屋の発展と相まって、江戸の庶民にもてはやされたと言う
確かに笑いと悦びがあり、独自性、創造性がある。
江戸時代庶民の生への逞しさをも、窺われる展覧会であった。


  時間を忘れて春画に魅入ってしまったせいか、待ち合わせに20分ほど遅れた、
友は「ゲテ物好きのあなただから、時間も忘れて観てたんでしょ」と笑いながらいった、

私は言いかけたが、止めた。
鑑賞したことを、説明するのは長くなりそうだった。




 懐かしいものが出てきた

NHKラジオ「英語会話」のソノシート。

1963年4月発行というから、最初の東京オリンピックが開催される一年半前のものである。




   当時、中学2年になったばかりの私は、夕方、松本亨先生の「英語会話」を聴くのが楽しみであった。
放送中に垣間見るアメリカの風物や文化に憧れていた。

丁度、テレビでもアメリカのホームドラマが全盛で、

私たち団塊世代は、それで育ったと、いっていいぐらいだ。

特に好きだったのは、Father Knows Best「パパは何でも知っている」で、

因習的で封建性を思わせるような、ちゃぶ台を囲んでの家族の

団欒といった日本の家屋とは全く違って、芝生のある一軒家、

ピカピカのシステムキッチン、大きなリビングルームは民主的で、

こどもの個性を大切にする両親を思わせ、

いかにも、そこに理想のホーム、理想の家族かのごとくであった。

  確かにその頃のアメリカは輝いていた。

1961年に就任した若き45歳ジョン・F・ケネディ大統領が

アメリカ国民の絶大な信頼を得ていた。
 就任演説

Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country
(国家があなた達に何をしてくれるのかではなく、国家のために何ができるかを考えてください。)
  深く感銘を受け、今でもふと口をついて出てくる箇所である。



   物置にしまってあったレコードプレヤーを出して、ソノシートをかけ

てみた。

半世紀以上経て、流れ出る英語の音声が通奏低音となり、

記憶の底からたちのぼってくる甘美でせつない想い出の数々。

半世紀という時の長さが、はっきりとした手触りとなって、

懐古に浸ってしまったひと時であった。

 このソノシートは孫に英語を教える教材としよう、

抹香臭いといわれるだろうか?

子供の頃、祖母から御詠歌を教わった時のように。