去る日曜日、東京都美術館のモネ展と、永青文庫の春画展を観てまわった。
夕方は有楽町で友人と会うことになっていた 。
東京都美術館 「モネ展」
モネの作品を鑑賞するのは、3年前のオルセー美術館以来だ。
晩年の「睡蓮」も観たいと思っていたので、今回のモネ展は楽しみにしていた。
入館してすぐ目に入るのは「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」
風景を覆い隠すように描かれた蒸気機関車の煙や水蒸気、これこそモネだ。
鉄道に代表されるような当時の機械文明や近代性というものには関心がなく、
煙や水蒸気を描くことによって、鑑賞者には駅の雰囲気や、喧噪や移ろい、
匂いまでもが伝わって来る。
光の移ろいや、印象が織りなす色彩と明暗は、モネのどの作品からも窺がわれるが、
晩年の「睡蓮」の連作は、白内障を患いながら描き続けたせいか、
鬼気迫るも のがあった。
私が好きなのは緑色が多用されている睡蓮の絵である。
睡蓮の群生が左上と右下に描かれ、淡い陽光が池面に反射しているのであろうか、
青でない緑が、幻想性を醸ちだしている。
『日本風太鼓橋(日本の橋)』も凄い。
最晩年期の代表作のひとつ。
太鼓橋としての形は認識できなかったし、
水面に反射する木々や水草の形状はだだれたように揺らめき、、
遠景の庭木々は形もなく、様々な色が塗り重ねられただけである。
抽象的な現代絵画を思わせた。
永青文庫 「春画展」
2年前、大英博物館で開催され大好評を博し、
凱旋展とも言える日本で初めての展覧会。
主催者は約3カ月の会期全体で、8万人を見込んでいたが、
最初の1カ月で6万人を超えたそうだ。
未婚の頃、古本屋で一瞥したときのグロテスクなイメージを払拭したいと思い、
菱川師宣、鈴木春信、喜多川歌麿、葛飾北斎といった
一流の絵師達の春画を鑑賞したかった。
会場は立錐の余地がないほどの混雑、見たところ、30代の女性が多いようであった。
前には女性がひとり、後ろには未婚と思われる学生風の女性に囲まれて、
ほとんど進まなかった、おかげでじっくりと鑑賞できた。
肉筆画では、野沢堤雨筆「秘戯図巻」がよかった。
見開きの桜花と楓の模様が、青々とした水流に混って妖艶であった。
この燃えるような赤の紅葉は女、やさしい白の桜花は男を象徴している様に思われた。
引き寄せられるる女には、恥じらいの様子がみられ、生々しい。
このような繊細な線描による男女の肉感は、見事なまでに表現され、
線と色彩の美しさは素晴らしい。
バラエティに富んでいるは木版画だ。
さまざまな階層の人々が登場する人間模様や構図の面白さ、
内容もユーモアや機知に富んでいる。
「風流艶色真似ゑもん」鈴木春信では、豆のように小さくなった男が、 多様な愛
を交す場面を見て回る様子が描かれ、「枕絵組物」杉村治兵衛では、ついたての向こうの女中や、障子のすきまからのぞく女たち、
「若衆遊伽羅之枕」菱川師宣では、覗いている若衆が描かれている、
これらの覗き見達はユーモラスだし、憎めない。
そして、いつのまにか、これらの覗き見と同じ視線であるのに気づく。
これほど覗くという行為が描かれるのは、障子や襖、衝立や蚊帳で隔てられ、
隣の部屋との境がはっきりとしない家屋のせいだろうか。
仕切るものがないということは、外界との境界を曖昧にしてしまう。
これら春画の世界では男と女、内面と外面ば混然一体となってしまっている。
春画は、枕絵や笑い絵とも言われ、貸本屋の発展と相まって、江戸の庶民にもてはやされたと言う
確かに笑いと悦びがあり、独自性、創造性がある。
江戸時代庶民の生への逞しさをも、窺われる展覧会であった。
時間を忘れて春画に魅入ってしまったせいか、待ち合わせに20分ほど遅れた、
友は「ゲテ物好きのあなただから、時間も忘れて観てたんでしょ」と笑いながらいった、
私は言いかけたが、止めた。
鑑賞したことを、説明するのは長くなりそうだった。