40年前の4月。
母の故郷、鹿児島にて。
出産時、逆子だったというが、
運良く 両足揃って出てきたので
普通分娩だったらしい。
だが、臍の緒が首に3周回ってて
仮死状態。
産声をあげなかったらしい。
パンパンパンと叩かれても
全然泣かない。
母もさすがに諦めたらしい。
あぁ、駄目かと。
諦めた時に
私は産声をあげた。
母は泣いた。
私の産声を聞いて
母は安堵から泣いたという。
難産だった私。
私は4人きょうだい。
その中で一番私は大変だったと
母は言うくらい大変だったようだ。
人に優れ、美しく。
父の名前やら、祖父の名前やら
合わせたらとかほんとに
たくさんの意味を込め、
母は私の名前を名付けてくれた。
私は自分の名前が大好きだ。