さくらのくに

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防災に関する記事について

WEBでみかけた東日本大震災の記事からコピーさせていただいております。
画像・図面などは元記事にあってもコピーしていません。
(末尾に元の記事のURLがあります。
 元記事が消えて、見られなくなっている場合もあります)


減災-記録と記憶
津波研究や過去の事例に基づく、対策施設および避難が成功
対策施設や指定避難にこだわらず自己判断で避難をした
過去の津波の教訓が活かされた
生存の事例

被災-備えていたが
津波研究や過去の事例に基づく施設や避難が及ばなかった
対策施設の過信や指定避難場所での被害となった事例
過去の記録以上の津波だった
犠牲の事例

学校-99%
学校-01%
上記した「それぞれの生存と犠牲の事例」のうち、
幼保小中高校にかぎった事例は別に区分する。

分類不可
そのほか。記録。想定。予知。防災。別の地域。
生存と犠牲どちらにも関係すること、など。
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各紙で関東大震災90年の特集が組まれたりしていた2013年、

職場で得ていた新聞の切り抜きを、このごろ整理してました。

 

震源地である神奈川の「神奈川新聞」の長期の特集連載の中で、

特に印象に残っていた記事です

 

地滑りで列車ごと駅が海中に転落した利根川駅は有名ですが

「列車ごと海に転落してなんとか脱出したと思ったら

 津波に何度も襲われ

 九死に一生を得て帰還したら地元は山津波(土石流)で壊滅」

という体験談が凄まじい

 

猛火と火災旋風によって3万8千人もの犠牲者を出した東京墨田区の陸軍被服廠跡。

ほぼ同規模の面積で4万人以上が避難したという横浜市「横浜公園」の犠牲者は53人。

(横浜公園の周辺でも火災旋風が発生するほど広範囲に焼失していたが)

何がその明暗を分けたのかという記事。

 

横浜の写真のキャプションとして書いてある

「園内の樹木も人々を守るのに役立ったとされる」

という点もよく記憶に残っていました

 

東京新聞の特集では列車もろとも海に落ちた「利根川駅」の海中のホームの残骸が写ってました

 

ちなみにこの記事の中では地元の東京湾の要塞人工島、

船で近くまで見学したこともある第二海堡(左側の写真)にも興味があって保存していました

 

2005年ごろまでこんなに(写真のように)震災の惨状の痕跡が残っていたんですね 

28年経ちました。

当時切り抜いていた朝日新聞の新聞記事の中に、

阪神淡路大震災の後(1995年2月ごろ)の関連記事を見つけました。

本文・名前が見えないよう、見出しだけ読めるように加工し、画像としてここに載せておきます。