Martinのブログ -7ページ目

Martinのブログ

ブログの説明を入力します。

もうひとつの土曜日・・・

また、 夜の公園で弾き語り・・・。

後半の好きな部分だけ唄ってみました。

プロポーズの場面ですね。



昨日、娘を下さいってことで

娘の彼氏がきました。前から知ってるのに

わざわざスーツ着て・・・。

もちろん、OKです。

来年、また、孫ができる・・・。

おいおい、俺の格好をみてよ。

この若づくりっていうか。

まだおじいとは言わせないからな・・・。









また、夜の公園で独りライブ・・・。

後ろに女性が立って聞いていてくれたので、

ちょっとびっくりしました~^^。

ま~、聴いてくれる方ってのは

たいてい犬を連れたおばちゃんですけど~^^










みなさん、ご無沙汰です。お元気でしょうか・・・。

僕はイマイチです。あはは・・・。

今日は夜の公園で弾き語り~。

聴いてくださいね~。

じゃあ、また・・・。











yourubeで見つけて、アメブロでお友達になりました。

可愛い人で歌もいいし・・・。

いつか大阪でセッションしてくださいね。

それまで、この曲を完ぺきにしときます~^^






ご無沙汰してます~!このところ、仕事も忙しく、

でも暇があれば、何かと外に出て活動してます。

PCばかりにかじりついていたら、不健康でしょ。

最近は、家の真横の公園でギター弾いて唄ったりして、

結構、有名だったりもします~^^

で、今日はその公園の様子を撮ってきました~。

僕の演奏はありませんよ~~!

じゃあね~。また、今度はいつ更新するのやら・・・。






最近、夕方から公園で弾き語り

してます。気のせいかもしれませんが、

唄い出すと、近くのベンチは

人で埋まってます^^

今日の曲「DESPERADO」は

著作問題で音声カットされてました。

でも、もう大丈夫みたいです。

しかし、「ホテルカリフォルニア」が

今度は、一部の国でカットという表示が・・・。

では、聴いてください・・・。




人生経験を少しばかり積むと、

昔読んだ詩もまた違った感覚で読める。

「ぼろぼろな駝鳥」が何を表わすのか・・・。

人それぞれに違うのもよい。



ぼろぼろな駝鳥


何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。

動物園の四坪半のぬかるみの中では、

脚が大股過ぎるぢゃないか。

顎があんまり長過ぎるぢゃないか。

雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。

腹がへるから堅パンも食ふだらうが、

駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢゃないか。

身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。

瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。

あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。

これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。

人間よ、

もう止せ、こんな事は。

先ずは、Yahooニュースの記事です・・・。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130328-00000007-maiall-soci


偶然が重なって、2匹の金魚が

暗いマンホールの中で生き延びた訳ですが、

そうした確率の問題よりは、

この2匹はもしかして、前世は夫婦、

または恋人だったのかな?などと

非科学的なことを考えてしまいました。

オスかメスかは分かりませんが、

勝手にそう思い込んでます。でも、

1匹だったら、

死んでたかもしれないと思います。

尾崎放哉の自由律俳句 

「咳をしても一人」って

ありましたよね・・・。


雑誌「層雲」に載ったのでしたっけ・・・。

とにかく、そのあとすぐに

放哉は亡くなったのでしたね。

2匹だったら、俵万智の 

「寒いねと話しかければ寒いねと

答える人のいるあたたかさ」

が合ってるかな・・・。

とにかく、同じ立場の

仲間が居るのはこころ強い。

恋人だったら、二人きりの方が

むしろいいかも・・・

そうそう、ここで蘊蓄(うんちく)をひとつ・・・。


レタスだけのサラダを「ハネムーンサラダ」

って言うのですけど、なぜだか分かりますか?

英語で書けば分かります・・・。

レタスだけはLettuce alone (only)

などと言うのでしょうけど、

Let us alone (only)に聞こえますものね・・・。

あら、ついつい余談が長くなってしまいました。

ポカッ・・・。


今日の曲はこれです・・・。時期もぴったりで・・・。


この話は結構有名なので

ご存じの方も多いかもしれませんが・・・。

この話を読むと、人として凛として

生きていかねば・・・。などと思うのです。




Martinのブログ





「妹は私の誇りです」

きいちゃんという女の子は、手足が不自由でした。
そして、いつもうつむきがちの、どちらかというと
暗い感じのするお子さんでした。

そのきいちゃんが、ある日とてもうれしそうな顔で、
「山元先生」と言って職員室に飛び込んできてくれたのです。

「お姉さんが結婚するのよ、今度私、
 結婚式出るのよ。ねえ、結婚式ってどんななの、
 私どんな洋服着ようかな」
 
と、とてもうれしそうでした。

「そう、良かったね」

と、私もうれしくなりました。

ところが、それから一週間もしないころ、
今度はきいちゃんが教室で泣いている姿を見つけたのです。

「きいちゃんどうして泣いているの」

と聞くと、

「お母さんが、結婚式に出ないでって言うの。
 私のことが恥ずかしいのよ。
 お姉ちゃんばっかり可愛いんだわ。
 私なんか産まなきゃ良かったのに」
 
とそう言って泣いているのです。
きいちゃんのお母さんは、お姉さんのことばかり
可愛がるような方ではありません。
どちらかというと、かえってきいちゃんのことを
いつも可愛がっておられて、目の中に入れても
痛くないと思っておられるような方でした。

けれどもしかしたら、きいちゃんが結婚式に出ることで、
例えば障害のある子が生まれるんじゃないかと思われたり、
お姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかと
いうようなことをお母さんが考えられたのかなと、
私は思ったりしていました。

きいちゃんに何と言ってあげていいかわかりませんでしたが、
ただ、結婚式のプレゼントを一緒に作ろうかと言ったのです。

お金がなかったので、安い晒(さら)しの
生地を買ってきて、きいちゃんと一緒に
それを夕日の色に染めたのです。
それでお姉さんに浴衣を縫ってあげようと提案しました。

でもきいちゃんは手が不自由なので、
きっとうまく縫えないだろうなと思っていました。
けれど一針でも二針でもいいし、
ミシンもあるし、私もお手伝いしてもいいからと
思っていました。

けれどきいちゃんは頑張りました。

最初は手に血豆をいっぱい作って、
血をたくさん流しながら練習しました。
一所懸命にほとんど一人で仕上げたのです。

とても素敵な浴衣になったので、お姉さんのところに
急いで送りました。
するうとお姉さんから電話がかかってきて、
きいちゃんだけでなく、私も結婚式に出てくださいと
言うのです。

お母さんの気持ちを考えてどうしようかと思いましたが、
お母さんに伺うと、
「それがあの子の気持ちですから出てやってください」
とおっしゃるので、出ることにしました。

お姉さんはとても綺麗で、幸せそうでした。
でも、きいちゃんの姿を見て、何かひそひそお話をする方が
おられるので、私は、きいちゃんはどう思っているだろう、
来ないほうが良かったんだろうかと思っていました。

そんなときにお色直しから扉を開けて出てこられたお姉さんは、
驚いたことに、きいちゃんが縫ったあの浴衣を着ていました。

一生に一度、あれも着たいこれも着たいと思う披露宴に、
きいちゃんの浴衣を着てくださったのです。

そして、お姉さんは旦那さんとなられる方とマイクの前に立たれ、
私ときいちゃんをそばに呼んで次のようなお話をされたのです。


「この浴衣は私の妹が縫ってくれました。
 私の妹は小さいときに高い熱が出て、手足が不自由です、
 でもこんなに素敵な浴衣を縫ってくれたんです。
 
 高校生でこんな素敵な浴衣が縫える人は、
 いったい何人いるでしょうか。
 
 妹は小さいときに病気になって、
 家族から離れて生活しなければなりませんでした。
 私のことを恨んでるんじゃないかと思ったこともありました。
 
 でもそうじゃなくて、私のためにこんなに
 素敵な浴衣を縫ってくれたんです。
 
 私はこれから妹のことを、
 大切に誇りに思って生きていこうと思います」
 
 
会場から大きな大きな拍手が沸きました。
きいちゃんもとてもうれしそうでした。

お姉さんは、それまで何もできない子という思いで
きいちゃんを見ていたそうです。

でもそうじゃないとわかったときに、
きいちゃんはきいちゃんとして生まれて、
きいちゃんとして生きてきた。

これからもきいちゃんとして生きていくのに、
もしここで隠すようなことがあったら、
きいちゃんの人生はどんなに淋しいものに
なるんだろう。

この子はこの子でいいんだ、それが素敵なんだということを
皆さんの前で話されたのです。

きいちゃんはそのことがあってから、
とても明るくなりました。
そして「私は和裁を習いたい」と言って、
和裁を一生の仕事に選んだのです。

山元加津子
(石川県立小松瀬領養護学校教諭)
『致知』1997年11月号より