僕には、「師匠」がいた。
「いた」というのは、破門になって物別れになってしまったからだ。
師匠と出会ったのは大阪のとあるマスコミ塾。記者になりたい、と門を叩いたのが出会いだった。
その頃の日々のことは割愛する。とにかくキツい日々だった。
書けども実らず、書けども叱られ、前に進んでいる実感がなかった。
しかし今思えば、あの日々がなければ今の自分はなかった。
ある日、師匠が問わず語りに話したことが、今も忘れられない。
「記者になったら何がしたい」という夢を語る生徒たちに向かって、ボソッと言ったのだ。
「記者なんて、最低の仕事やんか」。
一瞬皆がポカン、となった。
師匠がそう言った理由はいくつかあった。
他の産業と違い、実生活に役立つものを何も生み出していない。記事を書くためには、嫌がる人にも話を聞かなければならない。そういったことだったと思う。
実際記事を書く立場になって、師匠のような気持ちを持ち続けることの大切さ、難しさをひしひしと感じる。
本来的に社会に必要にされるものではない。だからこそ、自分の居場所を自分で切り開くのが記者なのではないか。
師匠自身が、実際に自分の力で居場所を作ってきた。
あのときの言葉の裏には彼の「矜持」があったような気がする。
