1. 使った本

 

トゥキディディスに興味を持ちまして、『戦史』を買ってみました。購入した版は、ジャクリーヌ・ドゥ・ロミイ教授による仏訳版で、Robert Laffont社から出ているものです。同教授による紹介文、また同教授及び他数名による関連地域の地図や用語集が付属していて、とても勉強になりそうです。また、ギリシア語のテクスト自体について、そしてその解釈についての詳細な註釈はBelles-Lettres社から出ている対訳版を参照、とも書いてあるので(p.169)、ちょっと心配したようにBelles-Lettres版の単なる刷り直しではない、入門版として新たに作成されたものであるようで、得した気分です。対訳版を買うのはまずこの入門版で勉強してから(何より引っ越ししてから)にしようと思います。

 

Cf. Thucydide, Histoire de la guerre du Péloponnèse, éd. par Jacqueline de Romilly, Robert Laffont (Paris), 2007. 

 

2. メーロス対話とは

 

さて、今回見てみたいのは、有名なメーロス島(「ミロス島」との表記もあるようですが)での対話です。紀元前416年、ペロポネソス戦争の中、エーゲ海に浮かぶスパルタの植民都市であるメーロスは、アテナイからの攻撃を受けて壊滅するわけですが、その攻撃の前に、アテナイはメーロスに降伏を求めるべく使節を送ります。この対話が有名なのは、その中でアテナイがある種の弱肉強食の理論を展開するからです。そしてこれをもって、トゥキディディスに「リアリズム」がある、という議論が国際関係論の分野で展開されることがあります。例えばJack Donnelly, Realism and International Relations, Cambridge University Press, 2000, pp.23-24です。

 

3. 『戦史』からの引用

 

実際にテキストを見てみます。対話形式なので、アテナイの弱肉強食の理論に対するメーロス側の反応も続けて載せます。『戦史』第4巻89-90で、上記の仏訳を参考に日本語にしました。

 

89. アテナイ代表団「よろしい、さて我々の方では、大義名分に訴えることはしません。ペルシアに勝利したことで我々には支配をする権利があるとか、今回の行動を起こしたのは我々の何らかの権利が侵害されたからであるとか、そういうことは言わないということです。これをやっても長い議論になるだけで説得力を持ちはしないでしょうから。しかし、あなたがたの方でも、ラケダイモンの植民であるにもかかわらずスパルタの側につかなかったとか、我々の権利を侵害したことはないとか、そういうことを我々に向けて言ってこないことを期待します。そうしたことで我々を説得できるとは思わないで頂きたい。それよりも重要なのは、あなたがたはこれから何をすることが可能であるか、これをあなたたちが認識することであって、だからお互いの本当の思うところから始めようというわけです。あなたがたも我々と同様にご存知でしょう、正しさの問題が人間の評価の過程に入ってきて何かしら判断に影響を与えるのは、お互いの力が均衡している時なのであって、そうでない場合、可能であるのは、最も強い者たちの行動をして弱い者たちが甘受する、ということですからね」。

 

90. メロス出席者「我々の見方からすれば、利益 – あなたがたが正しさの問題を差し置くというように決めたわけですから、利益について話すほかないわけですが – その利益という点から考えても、あらゆる人々にとって良いこと、そういうものを消し去らない方が良いのではないでしょうか。つまり、どのような場合でも、ある人は危機にあっても彼の権利に対しては通常の尊重を与えられ、そして、その彼の自己弁護があらゆる観点からして厳密に決定的なものでなかったとしても、それでも何らかの保障を得ることはできる、ということです。これがあなたたちにこそ資するのは、報復の広がりということを考えれば、あなたがたが、もし失敗したとしても、他都市の模範となれるからです」。

 

4. 私なりの解釈

 

アテナイ側は、今般の攻撃について、その大義名分を論じることは詮無きこと、この攻撃が正しいことかどうかについては問題としない、そういう態度を取っています。アテナイとしては、そういう前提を立てれば、弱者は強者に従うという結論しか出てこない、メーロスはアテナイに降伏するという結論しか出てこない。正義の問題を論じない以上、強い者は好き放題にやって良いのだ、ということかなと思います。この点、Donnellyはこのアテナイ代表団の考え方をone of the strongest statements of realist amoralismであるとしながらも、これがトゥキディディス自身の立場であるとは言えないとしています(p.167)。何故ならDonnellyによれば、トゥキディディスはhegdesもかけている(p.24)、つまり、正義の問題もまた『戦史』の他の箇所で重要な役割を果たしている(p.168)からである。

 

個人的には、このDonnellyの結論には賛成しつつ、わざわざ〈正義か力か〉のような問題系を立ててそこから論じなくても、この対話自体からすでにトゥキディディスのアテナイに批判的な立場を感知することもできるのではないかな、と思います。実際、この90節で、メーロス側は、正しさ(droit)の問題を置いたとしても、「利益」という観点のあること、具体的には、アテナイにもメーロスにも同様に資するような「共通の利益」として、いかなる事態においても尊重されるべき最小限の権利(droit)を保障すること – 人権みたいですね – があるのではないか、そう述べています。ここではdroitという言葉の意味が変えられている、あるいは、掘り下げられて新たな意味を獲得している、とも言えそうです。アテナイ側の議論であった、正しいこと/可能なこと(le droit/le possible)の対立軸を利益(intérêt)という観点から解消して、「正しいこと」について掘り下げて考えませんかという提案をしている、そう読めるのではないでしょうか。

 

もちろん、メーロスの立場がトゥキディディス自身の立場だというのでもありません。むしろ、トゥキディディスはアテナイが〈正義か力か〉のような議論しかできなくなっている病理を際立たせようとしている、そう読んだ方が面白そうです(Cf. 木庭『デモクラシーの古典的基礎』p.618〔4.4.6.4〕)いずれにせよ確かであるのは、トゥキディディスの「リアリズム」は、国際関係における正義と力の次元に注目した点にある、というのでは不十分だということです。