終わり・始まり・3日目
当ブログをご覧頂いている皆様,おはようございます。管理人のyuでございます。数多くのブログの中から, 私めのブログにお立ち寄り頂き, 誠にありがとうございます。さて, 今回は連投シリーズ第3回目です。どうぞご一興としてご一読下さいませ。通夜が終わり, また眠れなかった私は, 同じように外にタバコを吸いに出ました。修士研究で調査するためにアンケート項目を完成させなければならず, 祖父に心の中で何度も「ごめん, じいちゃん。ごめん。」と繰り返し, ビールを煽りながら祖父の遺体の隣で研究を進めた結果アンケート項目をさせたためです。遺体を安置している部屋から葬儀場を通り, エントランスから外へ出る間際, 小さいものが葬儀場へ向かっていくのが見えました。「なんだこれ?」かえるでした。葬儀場にかえるが入ってくるというのも, 田舎ならではのことでございましょう。我ながら寒いとは思いますが,「祖父がもし帰るとするならば, 場所は生まれた樺太かここで, 生き物は蜘蛛ではなく, かえるか何かだろう。」などと思っていたものですから, ぷっとこみ上げる笑みを抑えるのは少し大変でした。一本のタバコを吸い終えて, 部屋に戻ると父がもう起きていました。そして父の買出しに付き合い, TRIWELという24時間コンビニに車で向かいました。このTRIWELは24時間スーパーのTRIALから派生したコンビニエンスストアらしく, コンビニというには規模が大きく, 小型スーパーほどにあります。品揃えも, 食料品から飲料品, お酒, 日用雑貨, お酒・タバコまで, 豊富なものでした。そこでビールを段ボールで3ケース, 大瓶で6本, ノンアルコールのビールを1ケース買いながら, ソフトドリンクのコーナーに向かいました。すると隣に乳飲料のコーナーに置かれたヤクルトに目が止まりました。私の祖父は変わったお酒の飲み方をしていまして, 日本酒や焼酎をヤクルトで割って飲んでいました。子供ながらに美味しいのかどうか甚だ疑問でしたが, 当時はヤクルトが健康にいいというイメージがとても強かったこと, 祖父が牛乳屋を営んでいたことなどからだと推察されます。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。いや, しかし, だとしても,,,,,,,,,祖父よ, 本当にそれは美味しかったのかい??笑少なくとも私には, その日に試してみる勇気はございませんでした。。。。笑そうこうしているうちにおときの時間に。家族がそれぞれに着替え, 部屋を片して準備を整えます。叔母家族も到着し, 組み内の方々がいらっしゃる時間に備えて精進料理を淡々とたいらげます。そして湯灌の時間となりました。湯灌師の方がいらっしゃり, 祖父の体を洗う準備を整えていきます。準備が終わり, 遺族である私たちが一人づつ, かけ湯を行っていきました。祖父の足元から首にかけてゆっくりと, お湯をかけていき, 祖父の顔も心なしか気持ちよさそうにしていました。その後祖父の額をそれぞれ拭いていき, お棺の中に祖父がよく来ていたピンク色のポロシャツと, よく掛けていた眼鏡と, そして毎週読んでいた週刊新潮を, お棺の中に入れました。湯灌の時間が終わると, 告別式の打ち合わせを行いました。いよいよ参列者の方々がお越しになる時間となり, ぽつりぽつりと, 参列者の方々が弔問にいらっしゃいました。前日と同じように沢山の方に弔問頂き, 祖父は本当に徳の高い人だったのだと思います。一人一人別れの言葉と共に礼拝を捧げ, 住職の方のお経の声とともに, お焼香を済ませていきます。そしていよいよ本当にお別れとなり, 皆で祖父の顔を見にいきました。安らかな寝顔,小さな頃から沢山の時間を過ごし,毎週のように泊まりに行き,共に笑い, 怒られ,嫌いになることもあり,それでも大好きな,本当に大好きな祖父の顔は,なじみ深い, 見覚えしかない, 安らかな寝顔でした。お供えとしてあげた日本酒に菊の葉を浸し, 祖父の口元へ飲ませていきました。前回, 前々回のブログでも書いたとは思いますが, 祖父は大変お酒が好きでしたので, 「あちらの世へ行く景気付けとして, 上等な日本酒を飲みたいだろう」という私たちからの餞別でした。上にもある通り, こっそり買っておいたヤクルトを日本酒に混ぜて, 飲ませてあげました。あちらの世ではヤクルトがあるかどうかわかりませんから。笑そして霊柩車に持ち運ぶまでの少しの間, 私はなぜか, 祖父の元から離れることができませんでした。その顔を忘れたくなかったのか, 写真でいつでも見ることができるのに, それでも忘れたくなくて, ただただ, じっと祖父の顔を見ていました。この時も, 不思議と涙は流れませんでした。霊柩車にお棺を運ぶ時も, 遺族の私たちが行いました。祖父のもとでいつも一緒だった私と, 兄と, 従兄弟3人と。霊柩車にお棺を載せ, 長い長いクラクションと共に車が発車した時, それでも私はなぜか泣けませんでした。なぜかはわかりません。本当にわからないのです。でもその時, 涙の代わりに, とても清らかな風が, 身体中を撫でてくれました。祖父が別れの挨拶として, 小さい頃にしてくれたように, 頭を撫でてくれたように思えました。その後火葬場に向かいました。バスで向かう途中, 祖父が暮らした家を横目に, 懐かしい道のりを進んでいきました。火葬場で祖父を焼く間, 親族はもちろん飲みます。これでもか, これでもかと。とことん飲みます。私ももちろん飲みました。でもなぜでしょう, 皆の輪に混ざる気分になれず,ビールと一冊の本を持ち, 焼かれている祖父の部屋に一人でいました。もう魂はそこにはないでしょう。それでもただ。その時はその場にいたいと思ったのです。それが本当に最後の, 祖父との別れのように感じたものですから。火葬が済んだ後, 親族でお骨を拾って回りました。焼きあがった祖父のお骨はそこそこありましたが, それよりも共に入れた眼鏡のステンレスフレームが傍ではっきりと焼き残っていた様は, なんともまぁ, 現代の世の味気なさかなと思わずには入られませんでした。足先から, 脛, 大腿骨, 骨盤, 肋骨, 腕, 手, 頚椎, 頭蓋骨と入れていきます。悪気はないとはいえ, 火葬場の方が祖父の骨を誤って床に落とし, かつ足で踏んでしまった時には, 軽く怒りを覚えましたが, 抑えることにしました。そうして火葬も終わり, 葬儀場に戻って精進上げの時間となりました。旅立った祖父の無事を祈り, 大酒を喰らって送り出します。それにしても私の一族はまぁ, 本当に良く飲むもので, 現在皆は飲めなくなったと口々に愚痴っていますが, だとしたら飲めた時は一体どれほど飲んだんだと突っ込みたくなるほどに飲みます。かくいう私もその血を継いだのでしょう。お酒には目がありません。しかし, 喪主である父と, 母・兄にとってはひとまず最後の正念場です。彼等が少しでも遺族として, 恥ずかしくなく振る舞えるよう, 裏方の雑用仕事に徹しました。そうして一組, また一組と帰っていく親族を見送りながら, 無事に終わった安堵の気持ちと, 本当に終わってしまったという寂しい気持ちが入り混じり, 複雑な気分でいました。後片付けを済ませ, 代行運転で実家に戻っても, やはり私たち家族はお酒を飲みながら, 亡くなった祖父の昔話を, 夜通し楽しんでいました。こうして, 3日目が終わりました。