2歳過ぎの息子、卒乳しそびれていた(ほとんど出てないけど)。お昼寝とか寝るときとか夜中起きて泣いてしまうときだけ。私はお酒がてんで飲めないので、おっぱいあげることに不都合もなかった。
でもそろそろなー、第二子について考えないこともないし、いい加減私も生理不順だし、春からプレスクールに行くことを考えるとおっぱいがないとお昼寝できない状態だと本人がつらいだろうしな…とか。
夫が割とやめる推進派で、夫の指揮により冬休みに減乳(かまわずほしがるのを寝るときだけにした)した。子は意外とさっくり納得してくれた。そして最近生理不順すぎて体調が悪くなり、さらに寝る前をやめてみた。子はちょっと文句言う感じだけれど、おっぱいありで寝つくより時間はかかるけれど、これまた意外と大丈夫。
プレスクールの始まる春までにどうにか…とよぎり始めた最近、私がどうやらナマモノで食あたりになり、お薬を飲まないといけなくなった。三日間、あげられない。これはいいキッカケなんじゃない?と夫。
母は心の準備ができていなかったけれど、とりあえず息子に、おっぱいが飲めなくなる旨を説明してみた。わかってるんだかわからないんだか、彼はおっぱいをやめる話をするといつも聞こえないふうでいる。
次におなかが痛くなったら飲み始めるようにお薬をもらってあったので、しばらく猶予があった。お昼寝後と寝かしつけと、彼が満足するまであげてみる。今日はスマホとか見ずに、背中をなでなでして。最後、彼は自分で私のパーカーのファスナーをあげて、おっぱいをしまってくれた。
で、その後。おなかが痛くなりお薬を飲んでしまったので、あげられなくなった。
あらためて、
○ママはお薬を飲んでしまったので、今おっぱいを飲むとW(息子名)がおなかイタイイタイになる
○おっぱいがなくても大丈夫だよ
○おっぱいしなくなってもママはW(息子名)が大好き
と伝えてみると、彼なりに乳との繋がりの危機を感じ取ったらしく、昨夜はやけにほしがられてしまった。しばらく夜寝るときおっぱいなくても平気だったのにね。
で、11時くらいに泣かれた。こちらは変わらず、上記3点を繰り返すしかない。でも子は子でつたない日本語で おっぱい のむ おっぱい だす とか泣きながら(でも頬に触れたら涙は出てなかったけど)ネゴってくるのでこちらが泣けてしまった。そしてしばらくして私の涙を感じ取ったらしい彼のほうからあきらめて、その瞬間に泣き止んでぱたんと寝てしまった。
朝も同様寝起きに、切なくなる感じでちょっとネゴられた。でもパパと動物園(サンフランシスコズー)という提案につれられて機嫌が直った。
リビングで夫と遊んできゃらきゃら笑っているのを見て、あ、よかった元気だ、とほっとした。
昨日からずっと考えているんだけれど、
このおっぱいさよならにおけるなんともつらいさみしい母の気持ちってなんだろう。
そもそも卒乳を目指したい派の私が、もうおっぱいなしでもいけるんじゃないかなと思ったのは、おっぱいなしで寝ようね、と寝かせるときよりも、寝る前の歯みがきのときに見せていたアンパンマンやエルモのyoutubeを おしまい と言って取り上げたときのほうがよっぽど号泣することが重なったからだった。おっぱいが安心感なのはそれはそうなんだろうけれど、赤ちゃんではなくなった今の彼には他にも楽しいもの好きなものがたくさんあるんだよなぁ、と思ったから。
だいたい、おっぱいをやめるときに限らず、子どもはほしいものを断られることばかりだ。歯みがき後のyoutubeしかり、みかんがほしいバナナがほしいとなれば、おやつのときね、とかなるし、本読んでとなれば今は忙しいからあとでね、とかなるし、もっとおもちゃで遊びたくても出かける時間だったり寝る時間だったり。
だから、生まれてからずっと接してきた安心の素、がなくなるということに対する感情の振れる量はさておき、おっぱいが得られないのも『ほしいものが手に入らない』的カテゴリでいえば、子的にはそれなりによくあることなのでは、と思う。
子ども本人は、おっぱいが赤ちゃん時代からの母との繋がりの象徴であるとか、オキシトシンがどうとか知らない。物事が終わっていって、もう戻ってこないそれがさみしかったり名残おしかったりして心がきゅうっとなるような事象があり得ることも知らない。おっぱいに関しても、やめてしまえば意外とあとはケロっとしているってみんな友達言うし。
だから、このさみしさはやっぱり母のある意味自己満的な悲しみなんだと思う。赤ちゃん時代が本当に終わってしまうこと、もうあの姿やあの表情が見られないこと。大きくなってもらわないと困るんだけれど、こうやって子どもがどんどん大きくなって、要はやがて自分から離れていく事実を無理やり必要以上の濃度で飲み込ませられてツライみたいな。
まだ続けることはできなくもないのに、お互いどうしてもイヤで無理で終わらせるわけではないのに、しかも一方は猛烈にそれだけを求めてくるのに、断ち切らなければいけない…と、書いていて思ったけれどこの重い気持ちの半分はおそらく勝手な罪悪感だ。だからなんとなく自己満感があるんだな。
だって子どもにとって悪いことをしているわけではないから。体調不良や生理不順のなんやなんやでぐったりしているより、一緒に遊べる母のほうがいいだろうし、もう彼にはおっぱい以外の他のことをするほうが楽しいときもあるだろう。
そんなようなことのダイジェスト版を昨日泣きながら夫に話したら、
おっぱいやめてもW(息子名)はいるから!
おっぱいやめてもWはかわいいから!
と単純に明るい感じで喝を入れられた。夫はそういうタイプなので。
そりゃそだな。と、ずるずるジトジトしがちな私は思う。
ほんとはお薬を飲み終わった明後日に、どうしてもどうしても無理そうならおっぱいを再開するのも仕方ないとかすかに思っているのだけれど、こんな寂しい思いとゆらゆら揺れる気持ちをまた味わうのもな…といまだにどうしたもんかなと思っている。
でも本当に今回おっぱいがやめられたら、よくある、ほんとにそうなんだけれども、でも今はまだ泣いてしまいそうだから言えない、
ずっとおっぱい飲んでくれてありがとう
と言うんだろう。