昨日、陰陽師0を観てから考えていること。
人の感情。
妬み、嫉み、憎しみ。
嫉妬の感情。
↓以前、ライトが話してくれた嫉妬の話
嫉妬の感情って、魔物の好物なんですよね。
そこから憎しみを生み、争いも生む。
誰かを非難したり、攻撃したり。
本人にとっては正義だったとしてもいけないこと。
そもそも、ネット社会になって、
正義を振りかざした攻撃が増えている気がします。
それで他人を攻撃したら、
もうそれはイジメと変わりない。
自身にそのつもりがなかったとしても
攻撃してる時点で魔物に取り込まれてるし、
生霊だって飛ばしてるはずです。
神様は【和】を望みます。
もちろん人間ですから、
他人を羨むことも、
他人の考えに納得できないこともあるでしょう。
それでも、他人は他人なんです。
本当に間違ったことをしている人に注意をする。
それは間違いではないと思います。
注意が批判であるうちはいいけれど、
非難となってはいけないんです。
批判と非難は違います。
会社で言ったら、
非難になったらそれはもうパワハラ。
注意や批判には愛情があるけれど、
非難には愛情がないんです。
職場で、パワハラで訴えられた人を何人か見てきました。
その人達は、自分に従わない人を攻撃する
攻撃性が強かったように思います。
ミスを注意する時もフォローがない。
フォローがなければ、
相手は嫌悪感や恐怖感を感じるのみで、
成長につながらない。
私はそう思います。
ネットだって同じ。
誰だかわからない相手から非難されたら恐怖でしかない。
避難してきてる相手が誰かわからない以上、
実は知人かもしれない。
という恐怖も出てくるわけです。
実際、もう縁の切れた知人ですが、
喧嘩した相手を、
架空アカウントを別に作って
ネットで攻撃していた。
というのを後から聞いたこともあります。
そうなったら人間不信にもなってくるわけです。
他人を貶める行為を神様が認めるわけない。
それはもう魔物に唆されてる行為です。
正義の気持ちから生まれたものであっても、
攻撃したらいけないんです。
憎しみは憎しみの心を生むだけ。
極端な話、
戦争だって始めた人は自分なりの正義なんです。
宗教戦争なんて特にそうですよね。
自分の信仰する宗教こそ正義。
それ以外の宗教は邪教。
でも、それで多くの人が不幸になってる。
日本は八百万の神様がいて、
仏教だってキリスト教だってすべて受け入れてきた。
元々は和を尊ぶ種族なんです。
その日本人がすごく攻撃的になってる。
魔に唆されてるんです。
私のブログを読んでくださったり、
辿り着く人は神様が好きな人だと思います。
どこかで自分が他人を非難したり
悪口言ったりしていないか
一度自分自身を振り返ってみてください。
もちろん、私自身も振り返ってみてます。