『神様の言葉』
『高級霊の言葉』



どう書いてあると、心に響きますか?




それとも…〇〇の言葉として、
世間に通じる名称を書いた方が心に響きますか?





前回の記事の記事の高級霊とは、
神様として祀っている神社もある存在







神社で祀られてるなら神様の言葉と書いた方が通じたのかな?と思ったことがあります。




ただ…祀られていても、神様じゃない。

前回の記事を読んでいただければわかるかと思いますが、

その存在も話している通り、

人として生きていた時代があるから、

祀られていても神様にはならない存在。




なので、私は『高級霊』と書いています。

(正直なところ、高級霊という言葉も少し違和感を感じていますが、神様とは書けない以上他に書き方がない)





名前を書いたらわかりやすい。

ですが…いろいろなことを考えた上で、名前は伏せています。








私…、自分の視えたものや聞いた言葉が、

正しいのか不安で仕方ないんです。





自分の視ている世界が一番信用できない。





もちろん、依頼のあった時は、

自分の視たものが信用できないから黙ってる

なんてことはしません。

視えたままを話します。



今まで間違っていたことはないですし、

それで信用も培っています。



それでも不安だし、怖い。



その上…



いろんな神社に行っても、

何も感じないこともあります。



何も感じない時には、

自分が疲れてるだけ?

それとも、感じる力がなくなった?

神様に怒られるようなことした?

等々不安にもなります。




逆に。

聞こえた時には、

これ妄想じゃないよね?

聞こえてるの本当だよね?

ちゃんと話してくれてるの正しい存在だよね?

となります。




それだけ不安で仕方ないし、

本当に正しい存在からの言葉なのか、

考えます。





だって…

神様だって、霊体だって、

生きてる人間と同じ。

簡単に心を開いてくれないと思うから。

簡単に縁を繋いでくれると思わないから。





仙台城跡に行った時…

私は、政宗さんにお目にかかるどころか

家臣の皆様に、刀を持って囲まれました。



まぁ…私が、

伊達家にとって仇と思える存在の記憶を持っているからでしょうが。



一応、前世。

ですが、前世だけれど、本当に自分の前世なのかと考えることがあります。

魂の記憶というけれど、本当に自分のものなのか。

混線でもして、他人の前世視てたら?

…と前世だとは思うけれど、

違ったら…と考えることはあります。




だって視覚では視えない世界なんですよ。

それが正しいものなんていう保証は一切ない。



現実社会でも、詐欺とか、

騙されたりっていうのはある世の中。

魔物からしたら、勘違いさせるのはお手のものだと思うんですよね。



何が正しいか

間違ってるか

発信する側も、

受け取る側も。

自分でしっかり考え、

正しいもののみ受け取って欲しいと思います。




世の中、真っ黒です。

本当に。