神様は人に対してとても優しい。



ただ、神様は多くは語りません。
キーワードのようにメッセージを送り、
気づきを与えるのみ。



私はそう思っています。




語るのは、元々人としてこの世に存在していた霊魂。
もしくは、闇の存在。




闇の存在の言葉を
神様や正しく導いてくれる高級霊の存在として
捉えてしまうと、過ちを犯してしまう。
とても怖いことだと思います。





私も、聞こえる言葉が
良い存在なのか
悪い存在なのか
毎回とても悩みます。




話してくれる存在がどのようなものか、
ということもありますが、
良い存在の言葉だったとしても、
それを世に伝えるのは大丈夫なのか。
そのことも悩みます。




今回もとても悩みました。
ですが、話していいと許可をもらったので、
ブログに書くことにします。
その許可すら正しく聞こえたものなのか悩む小心者。
ええ、とっても小心者なんです、私。




その存在が誰なのかは書きません。
名前を出すことで、その人の言葉なら絶対!
と鵜呑みにする人が出るのを防ぐためです。




プライドが高く、余程のことがない限り人に話しかけることをしない人。
そんな人の魂が話しかけてきました。
つまり…それだけ大切なこと。


なので、ほぼそのままでブログにUPすることにします。




『人は愚かだ。
悪しきものが神と言って語れば、自分は神の言葉を伝える存在だと天狗になる。
それではダメだ。
神は何も与えぬ。
神が与えるものは慈愛のみ。
それ以上のものは全て人が作り出したものに過ぎぬ。

人は人となって生まれたから食べ物が必要となった。
住む場所が必要となった。
着る物が必要となった。
人が存在しなければそのようなものも必要なかった。
すべて神が与えたのではない。
人が人として生きるために生み出したものだ。
それがどうなろうと、本来は神の知るところではない。

だが、神は愚かな行為であっても手を差し伸べる。
気づくまで手を差し伸べる。
闇に堕ちたとしても手を差し伸べないなどということはない。
神の守りが消えるのではない。
神の守りが魔の悪業に打ち消されてしまうのだ。

神は今も、人が助かる道を模索している。
何を与えれば気づき助かるのか。
神はそういう存在だ。

そのことを理解しておらぬ者が何を行おうと何も変わらぬよ。

神は気づきを与えるだけだ。
ワシが話すのは、ワシが人であった存在であり、神には戻れぬ存在だからだ。
神に近しいところまで行くことはできるが神にはなれぬ。
人とはそういうものだ。
神は神だ。
神が人となればそれは人だ。
もう神には戻れぬよ』



以上です。
この言葉によって、1人でも多くの人が気づきを得ることになりますように。