どのような話をブログに書いていこうかいまだに迷っています。

書いたら後には引けない気がして。

突き進めばいいんでしょうが、まだ怖がっている自分がいます。

書いてしまっていいのかなぁ?と…。

書かなければいけない気持ちのほうが強いのですけどね。

 

歴史が好き!

スピリチュアルな話も好き!

そんな方向き。

 

スピリチュアルな話は苦手、という方は読まないほうがいいかと思われます。

 

 

 

子供の頃、私には霊というものの存在を畏怖として捉えるだけで、

視たこともなければ、感じたこともありませんでした。

 

私がそういった存在を認識し始めたのは、神職になる勉強を始めてから。

子供の頃から神社仏閣に行く機会はそれなりにありましたし、神話は好きで興味もありました。

ただ、神様がいるか、って聞かれたら、いない、そう答えるような子でした。

目に視えないから、わからないから、いない。

そう思っていました。

そんな私が神職になろうとした理由はいろいろあるのですが、その話は省略します。

 

勉強をして、神職になって…

神様に奉仕する気持ちを持つようになればなるほど、神様は居る、と思えるようになっていきました。

存在は視えなくても、声が聴こえるようになったから。

視えなくても、感じるようになっていったから。

 

そんな私の力を一気に強くしたのが、2007年9月9日。

前回のブログを9月9日に書くことにしたのはそれが理由。

何が起こったのか…急に身体に衝撃があって、2~3日身体が重くて動くことすら辛かったほどです。

 

2007…数字を足すと“9”

“9”並びの日。

不思議なほど、9という数字にまつわる日に何かが起こっている気がします。

何かが起こるといっても、悪いことではなく良いこと。

 

九頭龍の“9”

日本では忌み嫌われる数字ではありますが、私にとっては転機な日、ラッキーナンバーです。

 

 

 

神様や霊体の言葉を聞いたと言っても、気のせいとか、妄想と捉える方もいるかもしれません。

ですが、“気のせい”という言葉では済ますことのできない事柄が何度も起こっていて、

信じざるを得ない、と存在を認めるようになっていきました。

 

ただ、私ははっきりとは姿は視えません。

視えるだけの力はあるようなんですが…

九頭龍曰く、『怖がって蓋をしている』のだそうです。

 

波長が合えば、うーーーっすらとなら視えるんですけどねぇ。

神様や仏様に波動を合わせていれば、怖いものは視なくても良さそうなので、

そのうち、神様や仏様だけでも姿を視れるようになるといいな、と思っています。

視えなくても、言葉を聞き取ることに関しては問題ないので、そのままでもいいんですけどね。

 

 

神様や仏様、その他、いろいろな話を霊体に聞いたりもしているので、

少しづつですが、そういった話を書いていこうと思っています。