自分が視えること
(自分自身拒否している部分があるので、感覚としてしか視えていませんが)
ブログで書くことを今まで避けていました。
(自分自身拒否している部分があるので、感覚としてしか視えていませんが)
ブログで書くことを今まで避けていました。
批判されること、否定されることが怖くて逃げていたんです。
ですが、たくさんの方のブログを読んだり、本を読んだりしているうちに、
このまま逃げていていいのかな?という気持ちになっていきました。
自分のやりたいことを深く考えるようになりました。
どこまで書いていこうか、まだ迷っている部分はあります。
すべてを曝け出すほどの勇気を持てていないのです。
すべてを曝け出すほどの勇気を持てていないのです。
過去に書いた神社やお寺のブログについては、神様や弘法大師様から聞いたお話は全て書いていません。
基本的に、多くの方に広めるお話ではなく、過去世に関わるお話、自分のことがほとんどだった、という理由もありますが、
何より視えることを書く勇気がなかったから。
川崎大師では、お大師様に、友人と伯母の体調のことで相談しました。
身体に痛みを感じていたので、「どのお守りを持たせるのがいい?」とか。
身体に痛みを感じていたので、「どのお守りを持たせるのがいい?」とか。
「案ずるな。すぐ治る。お前が気に病むほどのものではない。
だが、お守りは気持ちだからな。持たせたければ持たせるが良い。
お前の守る気持ちも相まって、良い効果をもたらすだろう」
だが、お守りは気持ちだからな。持たせたければ持たせるが良い。
お前の守る気持ちも相まって、良い効果をもたらすだろう」
と言われ、結局、友人には一般的な御守、伯母にはなで御守を買って帰りました。
その後、友人は「痛い」と言わなくなり、
伯母も「痛い時にはお守りで擦ると痛みが引く」と言い、二人とも無事でした。
伯母も「痛い時にはお守りで擦ると痛みが引く」と言い、二人とも無事でした。
不思議な体験もしてきてはいるので、
このブログに出会った方に、役立つようなことがあるといいな、
という願いも込めて、今後書いていきたいと思います。
このブログに出会った方に、役立つようなことがあるといいな、
という願いも込めて、今後書いていきたいと思います。
生きていたら、辛いことはたくさんあると思います。
私も辛い思い、経験をたくさんしてきました。
それでも気づいたら乗り越えていた、ってことがたくさんありました。
明けない夜はない。
どんなに暗い夜でも朝は来ます。
光が差してきます。
どんなに暗い夜でも朝は来ます。
光が差してきます。
一人でも多くの方に、光が差しますように。
私も、怖がってばかりいないで、前に進むためにも書いていこうと思います。
9月9日。
11年前の今日、私にとっての転機となった出来事がありました。
その日を記念日として、今日、このブログを書くことにしました。