忘れないうちに書いておきたいなと思いつつ、
おしりは痛くてまともに座れないわ、寝れないわ、頭痛いわ、で
まったく時間が取れなかったけどやっと時間が出来た。
だから早いとこまとめておこうかな。
分娩が壮絶だった事を覚えておけば、
後に育児で疲れたときに自分を励ます事が出来るとアドバイスされていたから
これは残しておかなきゃいけない記憶だからね。
私にとって劣等感とか、願っても叶わないとか人生を振り返ったときに
あまり強く感じてはいなかったように思う。
感じてたとしてもそれは今回全て覆された気がする。
人として、女性としてという部分ではそんなに苦しい事なんかなかったから。
仲良くなりたいと心から願えばその人たちに大事にしてもらえるようになったし、
いっしょになりたいと願った人と家族になる事も出来た。
結局私の中で欠けているのは、かあちゃんの要素なんだ。
重度の子宮内膜症で不妊治療3年。そして今回の出産。。。
誰でも全て完璧じゃないのはわかるんだけど、
妊娠出産っていう人間にとって、生き物にとって重要な部分が欠けてるってね。
妊娠期間はいたって平和だった。出血したりもなかったし、痛みがあることもなかった。
検診に行くたびにすくすくと育っていて、先生にも「6割の人はそのまま安産で終わるんだよ。」
なんて言われてそうなるもんだと思っていた。
結局予定日になっても何の兆候も無く、誘発分娩をするための入院が決まった。
薬で陣痛を起こす、言葉では理解できても実際に陣痛というものがわからないから
緊張する理由がなかった。
病室に案内されて早速バルーンを入れて子宮口を開く施術をするという事で一度分娩室に。
下腹部に違和感はあるものの痛みも無くまだ余裕。
1時間後に経過を診た後、促進剤を使うことに決定。
1時間に1錠ずつ飲んでいって6錠でストップ。
3錠飲んだあたりで結構な強さの腹痛がきて、これ以上は飲めないといってとめてもらった。
今思えばあんなのは序の口の序の口でストップしちゃいけなかったのかもしれないけど、
薬で痛みを起こしすぎると副作用で大変な事になるかもしれないらしいので仕方なかった。
初日は薬の効果が消えると共に陣痛も消えて終了。
この日の夜、同室だった女の子が陣痛が始まって部屋の中で絶叫していた。
私はまた明日促進剤を使わなければいけないプレッシャーと眠れない焦りでイライラしていた。
ナースステーションに眠れなくてつらい、と言いに行ったら
看護士さんにお互い様だからガマンしてください!って切れ気味に言われた。
その人はその後きつい対応をしてきて精神的にやられたな。
でも、陣痛のすごさなんか知らないし、私も明日また薬に耐えなきゃいけないしで
頭ごなしにお互い様なんて言わないで対応してほしかったよ。
二日目も朝から促進剤開始。初日に入れていたバルーンを抜いたら子宮口が8cmになっていて、
今日中には産まれるだろうって院長先生に言われた。。。
一睡も出来ていなかったけど言葉を信じて快調に促進剤を飲み続けた。
でも、目標の夕方になっても。。。夜になっても。。。本陣痛は来ないまま終了。
さすがに3日目は体力的にも精神的にもボロボロ。早く産まなくちゃって焦りだけが渦巻いてた。
私が居た部屋は「分娩待機室」という部屋できちんとした病室じゃない。
だから、ひっきりなしに陣痛がきた人たちが来ては、分娩室に移動していく。
遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。
これの繰り返し。私には陣痛さえ来る気配が無くて、ひとりでこっそり泣いていた。
なんでこの子は産まれてきてくれないんだろう?私のことが嫌いなのか?とか
ありえない事ばかりが駆け巡って苦しかった。
この日は先生にも「さすがに産みましょう」と言われて、
体力的な事を考えて錠剤では無く点滴で確実にいく事になった。
午前中から始めて午後。。。少しずつ点滴の量が増えていって痛みが強くなった。
2時になったときに先生の診察があった。
昨日開いていたはずの子宮口がまた閉じてしまっていて無理やりグリグリやられたんだけど
これが地獄の始まりだった。。。
ベッドに帰ってきた途端、凄まじい痛みで涙が止まらなくて看護士さんを呼んでもらった。
でも、看護士さんは「これが普通」と言い放って無視された。
何分間隔かなんてわからないくらい、痛みの波が押し寄せてもう何がなんだかわからなくなっていた。
凄まじい痛みなのにどんどん点滴量をあげられて、気付いたら震えが止まらないし、過呼吸になってるし。
もう無理だと思った。次の瞬間に消えてなくなりたかった。
お腹でもがんばってるんだよ!とか弱音吐くな!とか言われても、とにかく、もう無理だった。
あと何時間もこのままなんて、殺される!っていう言葉が頭の中いっぱいだった。
まあくんとお母さんにお願いして、和痛の注射を打ってもらうことになって分娩室へ。
注射を打った後は点滴量を一気にあげてそのまま分娩に突入する手筈だったようだけど
私は痛みが楽になる事しか考えてなかったから、激しくなった痛みに騙された!としか思えなかった。
そこからは分娩台の上で痙攣しながら叫びながらのけぞりながら、どうにも出来ない痛みと闘った。
はっきり言って、私は負けていた。先生も「さすがにお母さんの体力的に待てないね」となって
意識はあったからまあくんが先生からの説明を受けに外に行ったのがわかった。
そして、「吸引分娩をすることになったよ」とまあくんから聞かされた。
なんでもいいから早く産みたい!それしかなかったよ、もう。
そこからはたぶん、産まれるまで1時間はかかってなかったんじゃないかな。
今振り返ってみても、ここからの痛みはどれもこれも前の痛みを簡単に飛び越えるほど超ど級の連続。
まずは人工的に破水。痛みとともに温かい水が流れていくのを感じた。
正直なとこ、産まれたんじゃないかって一瞬勘違いしたくらいだった。
そのあと、先生が「引っ張り出すために切るよ」的な説明をして、
もちろん心の準備なんてものはないままパッチン!局所麻酔してたとは思えない痛さ。。。
そして怒涛の痛みの連続ラストはとうとう分娩。
間髪いれずに、「お母さん!しっかりいきんでね!!」
やり方、もうよくわかんない!!とか思ったけど、この頃には壮絶極まってたから必死だった。
必死、この言葉まさしくぴったりだったんじゃないかなー。
信じられないほどの力を振り絞って、連続でいきんだ。
八つ裂きって言葉、怖いけどこれが近い感覚だったと思う。
4回目と5回目はもう力が残ってなかったけど、お腹を思いっきり押されて。。。
とうとう産まれた。とうとう。
意識は朦朧だったはずだけど、その朦朧とした自分をはっきり覚えてる。
少しの間があって、泣き声がした。
「泣いたよ!泣いたよ!よかったねー」って助産師さんの声がして
一瞬だけ抱っこ、というかお腹の上に乗っけられた。
ヨレヨレしながらも泣いてるサラがいた。
あとで聞いた話だと、羊水が汚れていたみたいだった。
本来赤ちゃんは産まれてすぐに溜まっていた便を出すんだけど、
何かのショックとかでお腹に居るときに便をしてしまう事があるらしい。
すると、羊水が汚れるから苦しくなってストレスになっていく。
私が苦しんでいる時、赤ちゃんは元気だから大丈夫って言われてたけど
本当は苦しかったんだね。ほんとにごめんね。最初からダメなかあちゃんだよ。。。
今日で生後2週間。おっぱいをよく飲んでくれるし、いっぱい寝るし、うんちもしっかりしてくれる。
本当に良い子なんだけど、きっとそれが当たり前ではなくて
赤ちゃんは何も言わずにがんばっている。
私は抱っこや授乳の仕方がへたくそで病院では看護士さんに怒られてばっかりだったな。
今は少しは上手くなったかな。どうかな。
妊娠するのも産むのも育てるのも、全部がへたくそで一人では何にも出来なくて
私は周りの人たちというかあちゃんに守られている。私はまだ本当のかあちゃんになれていない。
私はサラのかあちゃんになれるかな。産んだ人ではなくて、かあちゃんになりたい。
そして最後に、この試練が私のためになったのかわからないけれど、
全ての妊婦さんが出来る限り安産できますように。
陣痛の度合い的には分娩に繋がるはずだったのにも関わらず子宮口が開かなかった。
先生さえも「なんでああだったのか謎」というほどの謎。
あんな事は出来るだけ起こってほしくはないな。
安産でも時間のかかった難産でも、私のような異常分娩でも、
産まれたあとは同じようにお世話が待ってる。
だから少しでもマイナスが無い方ががんばれるよね。
私はまだ体がヨレヨレなので、しばらくは甘えた生活が続きそうかな。
今年はクリスマスもお正月も楽しめそうに無いわ(笑)
大変な時間をいっしょに過ごして、向き合ってくれた家族に感謝!!
まだ当分グダグダな生活になるけどよろしくお願いします!