冠木門を入ると玄関前での道が整っている
奥にある立派な松や他の植木も殆ど当時のもの。大切に現存。
奥にある松の前に玄関があり、お洒落な灯りが飾られています。
当時の灯りなのだと推察されますが調査中です。大正ロマンの
香りがしますよね。お洒落です☆
冠木門→入口→右折し、元書斎側に回ります。そこが受付です。
茶室風に造られた4畳半の小座敷が受付です
この茶室風に造られた小座敷を書歳としてお気に召されていた
藤村先生。今は観覧者用受付となっております。
「茶室風」:当時の一般家屋より1尺ほど低く作られています。
茶室風については、「塗り残し窓=下地窓」のコーナーでもっと
解説させて頂きます。
この小座敷を書斎としてご利用されていた藤村先生は、本当に
お好きだった場所の様で、奥様=静子夫人によると、長い執筆
活動の中で最も気に入った書斎であっただろうと記されています。
「この書斎を離れる時は自分がこの世を去る時だ」
…と話される程お気に入りの場所で、未完の遺作「東宝の門」も
ここで執筆されました。下記は現在の小座敷の様子です。
旧島崎藤村邸の間取り
書斎から、立派なドウダンツツジが愛でられます💖
書斎(受付)前には懐かしい縁側と置き石があります。この縁側
に腰かけて、見事なドウダンツツジを見上げて愉しまれていた
と思うと、同じ場所で同じ景色を同じ様に愛でられることに、感謝
の気持ちで満たされます。ノスタルジックな気分になりますね。
元書斎の戸袋は、「半瓢箪」の形をしています。可愛いですね。
藤村先生が他界され、静子夫人が箱根に疎開中、空家になる
この家の様子を案じられた静子夫人。菊池重三郎氏にその旨
相談したところ、同じく親友の天明愛吉氏のはからいで、随筆家
の「高田保氏」が住むことになりました。高田氏の随筆「ブラリ
ひょうたん」は、ここに住んでいる間に殆ど書き下ろしたとの事。
戸袋の形をモデルに発想されたかどうかは不明ですが・・・。
残念ながら、若い頃から闘病していた肺結核により若くして他界。
この町屋園でお亡くなりになられました。その後、静子夫人が
戻られ、亡くなる1973(昭和48)年4月29日までお住まいに。
何といっても、書斎から見えるこの見事なドウダンツツジの凄さ✨
2022(令和4)年3月3日山形雄子撮影 竹垣より高い!!!
更に目を奪われたのは、苔の美しさ。新芽のフワフワした黄緑
の柔らかい苔の美しさに感動。話を聞くと、大磯町の管理担当者
様が、1本1本草を取り除き続ける事で、転々としていた苔が、
ここまで一帯に広がり、今の美しさになったそうです。感謝です。
藤村先生ご自身が湯河原から取り寄せて植えた椿や、クチナシ、
馬酔木(アセビ)、カナメ、山茶花、左奥にはツツジも見えます。
藤村先生は木曽で生まれ、9歳まで木曽で育ったのですが、
菊池重三郎氏の記述によりますと、木曽の方々は皆、庭づくり
にこだわりがあり、どこの家もとても良い空間を作っていたそう。
その影響があったのか?藤村先生ご自身も庭造りをとても
愉しまれていたそうで、小石を上手く配置したり、好きな植木を
植えたりと愉しまれていたそうです。その植木を、時を経て、今
こうして愉しませて頂けることはありがたいし、ドキドキします。
何度訪れても、時間の流れがゆったりとしていて、まるで時が
止まったように、無の時間・癒しの空間・何とも言えない空気が
流れています。
2022(令和4)4月17日山形雄子撮影
残念ながら、ドウダンツツジの満開時期を逃してしまいましたが、
新芽の美しいお姿に、白いお花が可愛く揺れているお姿は
撮影出来ました。左奥に見える少し黄色い葉っぱが見えるのは
クチナシの木。これから、咲いてきますので、また、訪問したいと
考えております。
奥は赤い新芽のカナメ。緑と赤と黄緑のコラボレーションが、
美しいですねぇ~💖
残念ながら、藤村先生が一番愛惜された「白椿」は、蕾もみな
雨で落ちてしまったそうで、満開を愉しむ事はできなかったそう。
だから、下記写真は大変貴重なものとなりました💖
馬酔木(アセビ・アセボ・アシビ)のお花。面白い和名ですよね。
「白い人参」に見えたのかしら??馬が追いかけて酔ってしまう
程の木・・・らしいのですが。
藤村先生は特に「白いお花が大好き」だったので、お庭には、
白いお花が季節折々楽しめるように、配置されていたので
しょうね。
これからは、白ではありませんが、赤いツツジが咲き始めて
いたので、もうじきツツジの満開が楽しめそうですよ。
さぁ、今日も長くなりました💦 また、続きをお楽しみに🎵