NYに来る前 私は 自信が無く…何をしても自分は出来ない人間だと思っていました。
常に もがいていた人生。
結婚して、可愛い子供が2人いて。
ん?贅沢⁇
でも きっと あなたは知っているはず。
それだけでは満たされないことを。
妻でもなく、嫁でもなく、○○ちゃんのママでもない わたし。
わたしは長い間、わたし という人間をどこかに置いてきてしまったことに 気づいた。
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幼少期
3歳になって劇団に入った。
いわゆる子役ってやつです。
怖かったこと、辛かったこと、痛かったことは 今でも覚えています。
ここから何十年と続く暗いトンネルの入り口に私は立っている。
後ろを振り返り、トンネルを歩かない選択肢はあったのだろうか?
母の手を振り切り 逃げ出すことはできたのだろうか?
何も知らない私は きっと 楽しい世界が待っていると期待していたのかな?
それとも
母の願ったとおり 行動しないと怒られる!と思ったのかな?
レッスンは 歌・日舞・バレエ・演劇。
いわゆる情操教育のためなのか。
ステージママになりたかったのか?
母の想いは分からないけど、わたしは演劇が大嫌いだった。
「ハイ!そこで転んで 泣く‼︎」
な〜んて先生に言われても、転びたくないし 涙出ないし…
「私、やんない!」と かたくなに拒んだらしい笑
(嫌なものはイヤ!という信念は 私の強みでもあり、この頃から形成されていたことに 今となって知るわけですが)
でも、それが通用するのは4歳まで。
学年が上がれば 先生も厳しくなる。
台詞も増える。
オーディションを受けたら 落ちるの繰り返し。
またか…という残念な母の表情を見るたびに自信を失っていった。
そしていつの日か わたしは 大人に気に入られようと 頑張るようになった。
つくり笑いもした。
自分から挨拶することを身につけた。
運良く子役に選ばれ、楽しい幼稚園や学校を何週間も休み、フェリーに乗って地方公演に出たりもした。
でも 全然 楽しくない。
カツラが被れず、次回までに長い髪の毛をショートカットにしてきなさい!と舞台監督に言われたことも…
大人に気に入られるように
怒られないように
自分の気持ちを押し殺し、台本を必死で覚えた記憶がある。
「わたし 辞めたい」
そう言っても 母は直ぐには許してくれなかった。
それから 何ヶ月 いや 何年たっただろう…
やっと 辞めさせてくれたとき 私は4年生になっていた。
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ここで整理しましょう!
★強みとは2歳頃から10歳頃までに形成されます
★オーディションを受けては落ちるを繰り返し
↓
自分は出来ない人間だ…と思う。
↓
つまり、自己肯定感の低い人間が 出来上がる
オーディションに受からなければ 母は認めてくれない
↓
不合格が続けば 存在価値がないと思う
↓
どんどん 自信のない子供が育つ
★精神的に追い込まれた
→劇団を辞めるまで 夜尿症に悩まされる。
辞めたとたん ピタリと止まった。
両親は私が精神的に追い込まれていたとは知らず、ただただ オネショ と思っていたので 漢方を飲ましたり、お灸をしたり それはそれは 間違った方法で一所懸命対処してくれていました笑。
”お子さまを 観察してください!”
と、わたしは 講座の中でよく言います。
ちょっとした表情、行動を見逃さないでほしい。
今、うちの子は何を必要としているのか。
ママに見極めてもらいたい。
その お稽古 本当に子どものため ですか?