こんばんは。
1年前の今日、長崎くんちの前日でした。長崎市民にはお馴染みの【くんちバカ】の血が騒ぐ秋晴れの日でした。

私はこの日妹の緩和ケア病院の見学と説明を受けました。とても親身になって話をしてくださいましたが、まだ諦めていない私は一旦持ち帰りました。

その帰り父に初めて妹の病気の事をしました。両親はずっと前に離婚していて、妹は病気の事を父にも話してほしくなさそうでした。唯一私が父と交流がありながら妹のことは話さずにいました。

諦めていないといいながら、このまま父が何も知らずに娘が死を迎えてしまったら、、、親としてこれ程辛いことはないと。でも父に話すことは「頑張れ」といい続けている姉の私が諦めてしまったのだと妹に思われたら。色々な葛藤の中、父に話しました。

当然ですが父は泣いていました。昼間の公園で声を出して泣きました。「でも私たちは諦めていないから、お父さんも祈ってて」と言うのが精一杯でした。「恵子に会いたい」父の言葉でした。

帰り道【長崎くんち】の川船が目の前を通りました。「来年のくんちの時、きっと彼女と生きている。私が妹を失うわけない」「来年のくんちはきっと楽しく過ごせる」そう言い聞かせながら船頭の男の子を見ていました。

その「来年のくんち」はありませんでした。妹が見れなかったくんちは私も見れませんでした。なぜか「これで良かった」と思っているのです。

病院に戻った私は父に会い話したことを妹に伝え、「会ってあげて」とお願いしたら、「うん」と了承してくれました。