怒鳴ったこと で癒された
「感情のまま怒鳴る人、ヒステリックな女性」幼少期からそういう人になりたくないと思っていた。「怒らない人、穏やかな人」が理想だった。私は、怒りを抑圧する術を身に付けていった。気づけば、怒るタイミングがわからなくなるほどまでに。「鈍感だね。あんた馬鹿にされてるんだよ。舐められてるんだよ」と言われても、すぐにはピンとこなくて時間がたってから猛烈な怒りがこみ上げる。なんてことも「怒らない」という不自然さの檻に自分を入れようとしてた行為は自分への虐待だよね。その怒らないという抑圧はある程度コントロールできてもやっぱりどこかで爆発する。お酒飲んだ時に吹き出すこともあったね。あぁ苦い過去w私は、怒鳴る人が猛烈にキライだった。夫が子供を怒鳴るとき、とても怖くて怯えてた。。。でもあの怒りは夫のものじゃなくて、私のものかも。。。と、どこかで思っていたりもしていた。ある日5歳の息子が、私の怒りを猛烈に刺激した。私は怒りをコントロールできずに怒鳴った。過去最高の、怒鳴りっぷりだった。太く低い声で教育上よくないであろう言葉で怒鳴り散らした。どれくらい怒鳴ったかな。ある程度落ち着いたところで息子の顔を見た。意外と普通の顔してた。泣いてもいなかった。「怖かった?」と聞くと「うん」と言った。怯えてはいない息子の目を見て、少しだけほっとした。猛烈に息子を怒鳴ったことで、私は気づいた。今まで、どれほど嘘をついてたんだろうかと。上品で優しいお母さんであろうとどれだけ仮面を被ってたんだろうかと自分の育った家庭環境を振り返っても穏やかに育つはずないwケンカや怒鳴り声、ヒステリーは日常にあった。なのに、常に穏やかで優しい母になろうとしてた。どうやら私は自分じゃないものになろうとしていたようだ。私は、自分の本性を認めざるを得なかった。私も狂ったように怒鳴るんだ。と。所詮そんなもんだと。いい意味で諦めた。肩の力が抜けた。軽くなった。すっごく楽になった。翌日、息子への影響について気になりヒントを探していたところ、osho(ラジニーシ)の言葉を見つけた。「子供に怒鳴ることは、心配しなくていい・・ぜんぜん心配いらない。 それは自然だ。ただひとつだけ、心にとめておかなくてはならないことがある・・愛することで、そのバランスを取ることだ。」「彼には感じることが出来る・・・まさにあなたの波動自体が怒鳴っているのに、あなたの方は怒鳴らない。それどころか微笑んだりしている。コントロールしている。子供というのはそのことでとても混乱してしまう。」「もしあなたが怒鳴るだけで、強烈さと情熱をもって彼らを愛してやらなかったら、それは問題だ。だから、問題は怒鳴ることからやって来るのではない。それは、あなたが愛することによって、そのバランスを取らない場合に出て来るのだ。」(一部を抜粋)あぁ救われた。と思った。oshoの言葉に触れ、ほっとした。問題は怒鳴ることじゃない。愛情をかけないこと。自然体で生きることが子育てそのものなんだな。自分を抑える必要なんてなかったんだ。むしろ抑えない方が、愛情は湧き出る。その後、わたしは息子や夫に対して変な気遣いをせず堂々と発言するようになった。気の荒い「本性の私」が後押ししてくれる。前より、太々しくなったけどその分愛情深くなった(←自分で言うなw)夫のことを、繊細で気の優しい人だと感じられるし(私の方が荒くれ者w)息子をより一層かわいいと感じている。「怒鳴るママでいい」と許可したことで、子育ての負担がものすごく軽くなった。だから、すごく愛情が湧き出てくる。自分に優しくするとか心地よい気分に浸るとかいろんなことしてきたけど「怒りを持った自分」を認めたことは今までにない、とんでもなく大きな癒しだった。大きな解放。怒鳴ることで、癒されるとは思いもしなかったなぁ。あぁ気づきをもたらしてくれた息子と夫に感謝。ちなみに、今の私の理想は「天空の城ラピュタ」に出てくる海賊の女船長ドーラw