母のこと 気持ち備忘録

まず、母の命がもしかすると
もうすぐ消えるかもしれないと言われて
2週間過ぎましたが、
なんとか母は持ち堪え、
今はジュースやチョコレート、
アイスクリームなど少しずつ食べられるようになりました。ご心配をおかけして、
たくさんのDMを頂きました皆様には
何度も励まされました。
おかげさまで、母はこの夏
乗り越えられたと思います。
本当にありがとうございました。


母がこの夏、命の光が
消えかかりそうになり、
医師から覚悟をしてくださいと
言われた時、母に対する覚悟って?
医師が言った覚悟には私の気持ちは
まだまだほど遠いことに気づきました。
医師が言った覚悟は、
母の命の火が消えることの覚悟。

思わず、『先生、私はまだまだ覚悟が
できていません』と言ったのでした。
今まで私が母のことで
何度も覚悟してきた覚悟と
医師が言った覚悟とは
大きな違いがありました。
そして私自身母への覚悟に
こんなにも種類があったなんて。
と初めて気づき、
母とお別れする覚悟に
私の気持ちはまだまだ
辿り着いていなかったのでした。

私が40歳になった頃から1人暮らしの
母のことは気になっていました。
母には私のことで心配をかけて来たので
人の手助けが必要になる時が来たら
私は母と暮らしたいと、当時から家族にも
話していていつかその日が来ることは
家族も覚悟と納得をしてくれていました。

その日が来たのはちょうど5年前。
母と再び暮らすのは35年ぶりでした。
この日が、母と暮らし看取ると決めた
初めての覚悟。

次に認知症だと完全に理解した時の覚悟、
そこから5年間の間に
繰り返す骨折の度に今まで出来ていたことが
できなくなるかもしれないことの覚悟、





リハビリの目標が歩行機を使えるところまでと
納得する覚悟、
歩行器も使えなくなり、
歩けなくなるから上半身可動が
衰えないようにすると理解した時の覚悟、





認知症の進行の次の段階への理解の覚悟、
在宅介護と、看護、医療を選んだ時の覚悟、
などがありました。その他にも
お薬の選択、お風呂に入ることまでも
それなりの覚悟が必要でした。





その度に母がひとつひとつ
衰えていくことに対し、
娘として元気だった母の姿と
重なりながらの様々な覚悟には
正直納得したくない、覚悟したくない
葛藤が強くありましたので辛かったですが、



母の認知症が酷い日があったり、
普通の状態の時もあるので、そんな時に
自分自身を知ってしまう母の方が、
きっともっと辛いことだろうと思うと、
一緒に乗り越えて行こうと、
チカラも沸いたものでした。



今まで母に対して決めてきた覚悟の他に
これからどんな覚悟が必要になるのか?

今となっては、あれほど辛かった覚悟も
最後の覚悟の前に
まだまだ他の覚悟があると思いたい。
勝手なものですね。

でも今夏、初めて言われた医師からの

最後のあの覚悟が、
確かに近づいている事も理解して
受け入れる覚悟も必要なのかなと
悲しいけれどそう思ってもいます。

こうやって、ある1人の人間が
生き抜いて衰えていく姿を、母は
生身を持って教えてくれているのかな。
そんなふうにも思えます。

こんな話を昨日、長年お世話になっている
ヘルパーさんに話したら、、
『木元さん、お母様は生命力がおありだから
きっとまだずっと先ですよ』と言って
笑い合いました。

今日はちょっとしんみりしたお話しで
ごめんなさいね🩷
この投稿がほんの少しでも
介護に携わる誰かの拠り所になって
頂けたらと思っています。
#介護 #実母に #在宅介護中 #在宅