闇本山 優芽の浮橋 越えて理帆 宮崎幕府 記憶の音色       (雅没徒第6番ハ短調 hp.240) -18ページ目

闇本山 優芽の浮橋 越えて理帆 宮崎幕府 記憶の音色       (雅没徒第6番ハ短調 hp.240)

チームCm
神:宮崎理帆(研修生37期)
仏:相馬優芽(ロージークロニクル)
聖:村田結生(つばきファクトリー)
仙:平山遊季(アンジュルム10期)
レジェンド(殿堂入り)
島倉りか 浅倉樹々 前田憂佳 宮崎由加 吉川友 中澤裕子 加護亜依 佐藤光 稲場愛香 

このジャージ

ファスナーがメンバーカラーになってるけど

何の衣装だろ

 

ハッ として

野球で ヒット 打って

フットサル やって

へっぴり腰で

ホッ とする

 

・・・・・・・

 

面白くないな(w)

 

TVでいろんなジャンルの人と共演するのって

とってもいい経験になるだろうね

 


2004年になるとネット社会もハロプロも大きく変化していきます。

掲示板やチャットといったコミュニケーションツールが消えていき

ファンサイトの数も減っていきます。

HP作成サービスも終了するところが多くなり

サーバーの統合合併消滅が加速していき

やがてブログやSMSの時代になっていくわけです。

 

1998年にメジャーデビューしたモーニング娘。も

2002年に後藤真希が卒業

2003年には安倍なつみの卒業が発表されました。

次は誰?と騒がしくなる中

2004年の年明けに発表されたのは

まだ若かった加護と辻の卒業でした。

 

at 2004 01/04 00:38 編集

1月3日に東京中野サンプラザで行われた
Hello! Project 2004 Winter
(いわゆる正月ハロコン)において
2人の4期生 
加護亜依あいぼん) と
辻希美(のの) が
今年の夏のライブを最後に卒業する
ことが発表された
すでに1期生の
安倍なつみ(なっち)は
ハロコンの最終日1月25日に卒業する
ことが決まっていたが
あちこちで 次の卒業は誰? 
という話がされていた
多かった予想としては

ラブマの法則どおり1期生の飯田圭織かおりん
ユニット活動が多忙な2期生の
矢口真里
そのほか4期生の吉澤ひとみ 
5期生の
高橋愛 などの名前もあがっていたが
この2人の予想は少なかった

ファンサイト側も慣れてきたこともあって
比較的冷静なようだが
正月早々大事件 ではある

そして 飯田圭織がソロデビュー

 

飯田圭織握手会

at 2004 02/07 13:43 編集

ついにいってきましたよ
ソロシングル”エーゲ海に抱かれて”の発売記念の
ミニライブと握手会が愛知勤労会館で行われました。
座席は抽選なので早くから並んだからといっていい席になるわけではないのに
やっぱり朝から並んでる人多いですね
経験的にそのほうが前のほうになるらしいです
実際某課長(爆)は朝から複数の引換券を持って並んで
1列18番(1番最初に握手できる)をゲットしたらしい
そんで2時くらいから並んだんですが5列27番とまずまず
(朝から並んで10列以下の人もいたし
 並ばずに駆け込んで10列の人もいた)
結局2階席は埋まらず 比較的少人数
(大阪でなっちミュージカルがあるので

 なっち推しの大軍勢がこない)
そのぶんゆっくりとできました。

曲はちょっとネタばれになるんですが
エーゲ海に抱かれて のほかに
オーシャンゼリゼ と
薔薇色の人生 (生で聴くの3度目)
5列目だからとうぜんしっかり見えました

そのあとはメチャ緊張しましたね

 

 

翌年にモーニング娘。を卒業することも発表されました。

 

2004燃といえば中日に落合監督が就任して優勝した年

開幕投手は川崎

at 2004 04/05 18:56 編集

奇策だと言う人が多いんですが 
王道ですよコレは
落合龍(本人に言わせればオレ流)大成功

川崎そのものは
調整不足なのか力がもうないのか
打ち込まれましたが
そのあとがほとんど完璧でした

高校野球なんかでもそうだし、
その他のスポーツでも
監督の役割って試合が始まる前に
半分以上終わってるような気がする
心理学の先生とかが
よく言ってることなんですよ
たぶんスポーツ以外の組織にも
あてはまるような気がする
つまり落合監督は 頭がいい ってことかな 平凡な結論だけど

そんなわけで3連勝しました。これはもしかして(気が早いぞ)

 

 

2003年にはモーニング娘。に6期生が加入してくるんですが

加入前の時点で総人数が12人

5月に卒業する保田圭を除いても15人になるわけであまりにも多い。

そこで さくら組 と おとめ組 に分かれてツアーをする。

ということになったんですけど 中途半端でしたね。

娘。としてのツアーは今まで通り大きな会場でやって

さくら組とおとめ組のツアーは地方の小さなハコで・・・

なかなか行けない地方のファンも参戦できるから

さもいいアイデアのように思えるけど

実際にはキャパが小さいから落選者続出

金に糸目をつけないおまいつは

何としてでもチケを入手しようとするからオクは高騰

地元のファンには手が出ず、転売屋はウハウハ ってことになって

悪い前例を作ってしまった。

このあとメンバーの卒コンなどで

チケが途方もなく高騰すつようになったわけです。

 

「モーニング娘。さくら組」

紺野あさ美、高橋愛、矢口真里、吉澤ひとみ、

亀井絵里、安倍なつみ、加護亜依、新垣里沙

 

 

所属レコード会社によると、

 16人に膨れ上がったことで、

 大きなステージでしか歌えなくなったり、

 個々の活動も活発なために全員集まることが

 スケジュール的に困難になったり、

 などの弊害が出てきたという。

 そのため、ファンの手が届く距離で

 見てもらえるデビュー当時の姿に

 立ち返ろうということになった。

 
ということなのですが
その目的は全く果たされなかったといって
いいでしょう。
 
結局この年の分割コンは1度も参戦できませんでした。
(そういう人多いと思います。)
 

 

亜依梵国 については 

ハロプロ三国志の 魏書 呉書 蜀書 のいずれの正史にも記述はありませんが西洋の ちびまるこポーロ が著した 東方異聞録 によると

あいぼんヲタが革命を起こしてなっちの処刑となちヲタの大粛清を行い

亜依梵国を建国した。 という記録が残っていますが 

この亜依梵国も2004年8月1日に滅亡したそうです。

 
その後 失われた経典を求めて
さる ブタ 河童 が旅たちましたが
現在生存が確認されているのは サル だけのようです。
 

 

モーニング娘。の5枚目のオリジナルアルバムである No.5 は

名作 4th.いきまっしょい と 話題作 愛の第6感 にはさまれて

アルバムとしての評価はあまり高くないのか 話題にならない。

個々の楽曲の評価は高いものの寄せ集め感が強く

アルバムのしてのコンセプトが希薄なせいかもしれない。

 
発売された時期はハロマゲドンの直後で6期生が加入する前
いろんなユニットが乱立しメンバーの卒業とかもあったので
アルバムの印象が薄くなってるのかもしれない。
タイトルもシンプルでなんの捻りもない。
 
このアルバムの実質最初の曲が15枚目のシングルだった
Do it Now
モーニング娘。の楽曲中最も暗いメロディ
同じハ短調でも 例えば や 恋のダンスサイト は
ここまで絶望的ではない。
ただつけられている歌詞は前向きにもとれるのだが
なんといってメロディーに救いがないので暗い連想しか浮かばない。
 

♪覚悟するのは簡単だった

  死がそこにあったから
  「生きていたあの日」と
  いつか後悔するような
  毎日が来るだろう

  中国から来た地獄逝きの切符
  夢は叶うよ絶対叶うから
  逝こう

 

絶望的なハ短調で始まり、最後は前向きな卒業旅行で終わる。

ベートーベンの運命でも意識してるのかな?

 

だからタイトルが No.5 なのか

 

 

 

 

2000年に12歳で4期生として加入し

2004年に卒業した あいぼん(加護亜依)は

いい意味でも悪い意味でも大きな影響を与えました。

また本人や家族の人生も波瀾万丈でした。

 

2000年には 矢口 加護 辻 ミカ で ミニモニ を結成

2001年には 石川 加護 松浦 で シャッフルユニット 三人祭 結成

低年齢層のファンの獲得に大きな貢献をしました。

 

亜依しています 13万hit達成!

at 2003 11/07 23:49 編集

開設が2000年の4月16日
(ASAYANで ぼむ の 娘。加入が
   発表された日)なので
3年半たったことになるが 
最初の1年が1番アクセスが多かったし
板も賑やかだった。
ただ しばしば板が
チャット状態になったりしたけど・・・・
最近は寂れ気味のくせに荒らしだけはやたら多かったりするからなぁ

 

卒業直前の2004年には 辻 加護 で W(ダブルユー) を結成

卒業後も順調にいくかと思えたんですが とんでもない事件が・・

 

 

 

 

 

 

 

モーニング娘。 が他の多くの女性アイドルユニットと

大きく異なっていたのは中澤裕子の存在。

なんせ1997年のオーディションの時点で24歳

アイドルのオーディションだったら受かるはずがありません。

でも 女性ロックボーカリストオーディション だったんですね。

なんの因果化ひとまわり近く若いメンバーもいる

アイドルユニットの1人としてデビューするこちになってしまいました。

結果的には年齢差がイジられやすさにもつながって

TV出演の機会も多くなりました。

だから2001年に卒業が発表されたとき

これでモーニング娘、も平凡なアイドルユニットになってしまうかな

という危惧しかありませんでした。

 

そしてモーニング娘。の中澤裕子 とは別に

演歌歌手 中澤ゆうこ としてもソロデビューしました。

当時すでに演歌界は虫の息でしたからなんとか・・・

という思惑もあったでしょうが

あちらの世界は時代を読めない老害がいっぱいですからね

いろいろ苦労したでしょう

 

演歌といえばハロプロにはもう1人

ゆきどん(前田有紀)という演歌歌手もいましたね。

ハロヲタは他のジャンルの人にも優しいので

ライブは良かったんですがグッズは悲惨でしたね

よくピンポスが橋の欄干にいっぱい貼られていました。

 

 

 

 

 

 

 

1970年代というのは1番想い出の多い時代かもしれません。

年齢でいうと15歳から25歳

音楽もこの頃のものが記憶に強く残っているようです。

 

1964年には東京オリンピックがあり

全国の道路が舗装されていき 建物が建てかえられ

世の中は高度成長で車や家電製品が普及し

テレビや写真もカラーになっていきました。

 

ただ60年代の終わりになると

東大の安田講堂攻防戦などもあって世の中は騒然

東大の入試が中止になった年もありました。

たぶんその頃注2か中3くらいだったでしょうか

大阪で万博が開かれたのが1970年でした。

 

この年名古屋では FM愛知 が開局し、

いろんな音楽が手軽に聞けるようになりました。
オーディオはまだそんなに普及していなかったので、テープはオープンリール 
エアチェックもそんなに簡単ではありませんでしたが それでも音楽が身近な存在になりました

 

前の年の10月5日に発売された 

黒ネコのタンゴ(皆川おさむ)
が、70年にはいっても独走を続け14週連続の1位。

これを止めたのが 

逢わずに愛して

(内山田洋とクールファイブ) 

69年12月5日発売 

 

このころの曲は発売されてから、

じわじわチャートを上がってくるのが

普通だったんです。

 

ついで、ややポップス調の 白い蝶のサンバ(森山加代子) に続いて

圭子の夢は夜ひらく (藤圭子) 

70年4月25日

 

この年案外演歌は低調なんですが、この曲と 

女のブルース で孤軍奮闘してます。

 

その後ポップスや洋楽のヒットが続き

下半期最大のヒットとなったのが

京都の恋 (渚ゆう子) 

70年 5月25日

 

ベンチャーズの作曲で、発売されたのは5月だけど、チャート上位に登場するのは
10月になってからで、11月9日に1位となり、

以後年内は1位を独走しました。

しかし作曲者が外国人であるため、

テレビの ベストテン番組には出演できませんでした。

 

レコード大賞は 

今日でお別れ(菅原洋一)

 

手紙(由紀さおり)

などもなかなかの名曲でした。

 

この時代は洋楽がけっこう強くて、

しばしばチャートに登場するんだけど

ラブマの件でよく話題になる 

ヴィーナス

(ザ ショッキングブルー) 

マンダムのCMでおなじみの 

男の世界(ジェリーウオーレス)

などがチャート上位に進出しました。

 

J-POPの源流 ともいうべき日本のフォークは

深夜放送やFM放送では人気がありましたが
まだ相対的にレコードの高価な時代でしたから

チャートには登場しませんでした

よしだたくろう が 

イメージの詩 

でデビューしたのがこの年でした。

 

紅白 1970年

この年の紅白で歌われた曲で はっきり歌詞やメロディーを覚えているのは・・・

(初)日吉ミミ/男と女のお話       

♪恋人に ふられたの・・・

(4)森山加代子/白い蝶のサンバ  

♪あなたに抱かれて私は蝶になる・・

  これモーニング娘。が2009年にカバーしました。

 

(3)ピンキーとキラーズ/土曜日はいちばん  

♪土曜日は 土曜日は・・・

(初)トワ・エ・モア/空よ    ♪空よ ・・・  (ヘ長調)

(初)藤圭子/圭子の夢は夜  

♪赤く咲くのはケシの花・・・

(初)にしきのあきら/もう恋なのか   ♪恋というもの知りたくて・・ (変ロ長調)

(初)ちあきなおみ/四つのお願い  

♪四つのお願い聞いて・・・

(2)いしだあゆみ/あなたならどうする   

♪泣くの歩くの死んじゃうの・・・

(2)由紀さおり/手紙    

♪涙でつづり終えたお別れの手紙・・

(4)菅原洋一/今日でお別れ   

♪今日でお別れね もう会えない

 

カラオケで歌えそうなのはこれくらいですね。 

でも個性的な曲が多かったとおもいます。

昨年の6月くらいから休んでて

年末くらいからイベントなどに出てくるようになったけど

曲によって出たり出なかったりだし

握手会も座ってやってることも多いから

そのたびに 無理しないでね くらいしか言えないけど

完全に治してからのほうがいいんじゃないかな

スポーツ選手などでも前例多いから

 

右利き 左利き あなたの樹々です。

 

なるほどね

それ続けるといいかも

 

 

 


Juice=Juice は2013年の2月3日に結成されたので

今日で結成5周年を迎えました。

ハロプロのユニットはどこも

歌唱スキルやダンススキルに定評がありますが

それぞれの歌唱スキルの高さでは ハロプロNo1

(というか芸能界全体で考えてもかなり・・・)

女性アイドルユニットが5年以上継続する

ということ自体がなかなか困難だし

メジャーデビュー以降は誰も辞めていない。

昨年はワールドツアーと南米ツアーを行い

国際的アーティストへの1歩を踏み出したわけです。