先日プロフィール撮影をしながら
プロフィールでは大幅にはしょっている美人髪コンサルタントになった道のりを自分回帰をしながら綴ってみようかと思い立ちました。
今年アラカン(アラウンド還暦)になったわたくしメ
来し方を綴れば膨大になりそうなので、ちょいちょいかいつまんで短めにしようと思います。
学生時代編
小学校
寿司職人の父を気に入った不動産屋さんが出資をしてくれてもといた寿司屋から不動産屋さんの家の近くに店を借りて開店したのが小学校入学の年。
専業主婦の母は突然寿司屋の女将さんにならされちゃうことに。
お店の方は東京オリンピックに向けて、新幹線はできるわ
大阪では日本で初めての万博が開催されるわで日本の景気と比例して商売も右肩上がり。
何をやってもうまくいく時代
この時期を知っている年代はバブル期よりもこの時代の方が良かったと語る人が多いですね〜。
カラーテレビができて、2層式の洗濯機ができて、掃除機ができて、電子レンジもできて・・・
お店は好景気に支えられ商売繁盛しまくり
職人さんも3人雇っても寝る間もないくらい忙しい両親でした
当然、子供の世話なんか焼いてられない
当時の店舗兼住宅にはお風呂がなく←これも当時では珍しくないことです
小学生の頃、一人で銭湯に行くのだけどちゃんと洗えてなかったり
着替えもろくにしてなくてその上メガネで痩せてたので
メガネざる、ごぼう(色黒で痩せてたから←言い得て妙)ブスなどとやはりここでもいじめられましたね
いじめられ体質はここでしっかり身につくΨ(`∀´)Ψ
家で甘やかすと学校に行くのが嫌になっては困ると考えた母は慰めるどころか、同級生の言う通りなんだから仕方がないと傷ついた心に塩を塗るような言葉かけ。
⬆︎なんでやねんっ
このことで、同級生からも親からも好かれていない人というレッテルを自分で自分に貼ってしまった小学生時代。
この時代は世間もお店も好景気で金銭的には豊か
お店の休みには毎回外食をし、夏〜秋に呉服屋さんが母と私が正月に着る着物の反物を店に持って来て誂えたりもして、
家電製品の新製品も次々やってきてまあまあ何不自由ない生活。
だけど家族のふれあいはほとんどありませんでした。
母としては子供の世話ができないので、夏休みや冬休みは幼少期の時のアパートの隣に住んでいたおばさんのところに預けられることに。
アパートではなく、大阪の北摂郊外の府営住宅に引越していましたからそちらでお世話になりました。
そのおばさんのお姉さんもその近くで自動車工場をしていて、そのおばさんが体調不良などあればそちらへも預けられました。
どちらも全くの他人でしたが、躾や生活の面で社会に出て困らないようにと、時には厳しかったですけどよく世話をしてくださったと思います。
この頃からなんとなく将来に対しての夢が「いいお母さんになること」と「髪結いさん」になること。
「髪結いさん」になるっていうのは幼稚園の時に一緒に美容室に行って時にはパーマをあててもらったりしてたそうで(←母からのちに聞いた話で覚えていない)子供心に嬉しい出来事だったのだと思います。
「いいお母さん」というのは自分がそれを求めていたからでしょうね。
中学生時代
小学生高学年くらいから徐々に店の手伝いをさせられるようになり、中学時代は勉強するより手伝った方が親が喜ぶし、お店のことで会話があるので帰宅後は2階の住居よりお店で過ごすことの方が多くなっていました。
学校では、いじめっ子に脅されいじめっ子たちが嫌っていた家庭科の先生に迷惑行為をしてしまう
進路指導の英語の先生には「そんなんする生徒と思わなかった」と訳も聞いてもらえず平手打ちをくらい、大人ってそんなもんと冷たくひねくれる中学時代。
高校時代
中学を卒業したら高校に行きたいと母に話すと、自分で父を説得するよう言われる。
父の考えは「女が学ができるとロクなことにならない。店を継いだらサラリーマンより儲けられる」と封建主義もはなはなだしい時代錯誤
その頃でもわずかだけれど、家庭の事情などで高校に進学しない子はいたのだけど、世間的には高校くらいは学歴として持っていないとという風潮になってきたので、お金のかかる私学にはいかないこと、放課後はお店の手伝いを必ずすることを条件に通わせてもらえることになりました。
この頃、前出のおばさんがお煎茶の師範になっていて、何の躾も嫁入り修行的なこともしてなかった私に着物の着付けを教えてくれ、お煎茶の師範の免状をいただくまで指導してくれました。
高校生活は小・中学校から離れて、同級生とも離れたことでいじめられることは無くなりました。
ただ、できるだけ目立たないようにしていましたね〜。
この頃に賃貸の店舗兼住宅から住まいは一軒家を購入して別になっていたので、家の中の一切の家事をしていました。
学校から帰宅して制服を着替えて店を手伝いに行き夜10時ごろ帰宅して両親の風呂と寝間の支度をして12時ごろ就寝、6時に起きてお弁当を作って登校という生活でした。
このようにまとめてみると、結婚した理由や結婚に思い描いていた理想などが改めてわかります。
それはめっちゃ甘い考えや、夢見る夢子ちゃん的発想でした。
次は就職から結婚生活子育て時代になります
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