[ベルリンのガス灯と光フェスティバル]
ベルリンの夜はほっとする、何となくそんな感覚になる事があるが、光のせいだろうか。
夜になると、だいだい色の街灯がともる。
世界の約半数のガス灯がベルリンにあるらしい。
自然界の色合いを発するガス灯のともしびと一緒に、
人も街も休む。
ベルリンに最初のガス灯が設置されたのは1826年のこと。初期の頃は、ひとつひとつ人の手によって点灯されていた。
ガス灯文化協会によると、戦後、次々と電灯に置き換えられる中、2014年にはまだ約3万7000個ものガス灯が残っていた。歴史的なガス灯は今後も残されるという。
そして、多くのものは、中身は変わってもそのままの外見で使われている。
ブルーライトを浴びる機会の多いこのご時世に、ひとたび外へ出ると、だいだい色に包まれた暗闇がゆっくりと流れている。
[一年に一度の光フェスティバル]
街灯は暖色、夕ご飯はキャンドルをともす、リビングには、あんどんの様な暗めの照明を好んで使う。ドイツの友人たちのお宅にお邪魔すると、よく見られる光景である。
これだけ、夜に暗めの光を好むドイツ人たちが、その対局のように、色とりどりの明るい光を堪能する時、『光フェスティバル』。
一年に一度開催されるこのフェスは、色々な歴史的な建物の表面にプロジェクターで、ば〜んと映像を映しだそう!というとてもスケールの大きなものである。
何気なく眺めている、建物が、衣装を纏うかのように、次々と容姿を変えていく。ポップなも、古典なもの、デジタル調なもの、様々な個性に変わっていく。
どう見えるか、
どう見られているか、
それは、実物に投影される映像や期待や予想やストーリーなどが、複雑に絡み合い、味をかもしだしている。この時、どう見えたとて、実物が変化したわけではない。
[わたしとわたし以外]
それぞれのカラダには、それぞれのストーリーがある。
自分のカラダをしっかり感じられていると、
物理的な距離感と、精神的な距離感が感じられるようになる。そして、そこに関していちいち動揺しなくなる。
周りからの見え方が、気になるかならないかの2択では無くなる。
つまり
わたしはわたしのままで良くて、あなたはあなたのままで良い。
そんな、巷でよく聞く事が、リアルに感じられる。
それを頭の中で思っている時と、実際に体感した時とでは、納得の具合が全く異なる。
そんな事を思わず思ってしまうセッションの経験をするので、私にとってロルフィングの可能性は未知数であり、面白い。
これを書いていて思うのは、言葉にするってほんと難しいのね〜。
以上、今日の独り言でした。
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