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かさい珈琲 湘南辻堂
「マスターが国際審査員でマスターが国際審査員としてCOEコロンビア大会に参加しました!!」

小さなお店です、穴場ですね。
上記の通りコロンビア系統が得意。
店のサイトを見て、下の方に中古マシンー販売がありますよ。
笑!!
店の経営は趣味?なんちゃって
マスターはローストしている以外はとても親切。
でも、若い従業員はとても教育が行き届き気分が非常に良い。
買い物の時から良い気分。

98.09.11 大川周明のせりふ

 大川周明といえば、終戦後、A級戦犯として逮捕されながら東京裁判で精神障害をきたしたため、裁判から除外された思想家です。
 この春(1998.05)公開された映画「プライド」(伊藤俊也監督)では、石橋蓮司が大川周明を演じていました。僕も見に行きました……なに、べつに思想的背景があってのことじゃない。戸田菜穂ちゃんが舞台挨拶するというから行っただけの話です。
 東京裁判のシーンで、東条英機のはげ頭をピシャリとたたく有名な話の後で、石橋蓮司の大川は、MPに連行されながら、「イッツ・ア・コメディー!」と叫んでいました。「これは茶番だ!」といったような字幕が出ていたと記憶する。
 映画を見るかぎりでは、佯狂の思想家が、勝者による裁判を「茶番」ということばで糾弾しているようでもあり、はなはだカッコイイのであります。これは脚本家による潤色かもしれないと思いました。
 ところが、当時の新聞を見ていると、あながち潤色でもないのですね。大川は、そのようなことを叫んでいたようだ。ただし、ちょっと違う。

――三時半すぎ再度休憩に入つた、外人写真班が被告席東条大将の真下にすゝんで撮影をはじめたトタンに博士の手がツとのびて東条氏の頭を叩いた、すかさずニユース映画と普通写真がこの異景をキヤツチした、すぐに憲兵隊長がおさへたが、起ち上つた博士が奇声をあげた、ドイツ語で
「インデアンス・コンメン・ジー(印度人、こつちへ来い)」「お前ら早く出てゆけ」――次は英語で「坐れ」と怒鳴つた(「朝日新聞」1946.05.04 p.2)

 「イッツ・ア・コメディー」ではなく「インデアンス・コンメン・ジー」だというのです。僕はドイツ語をよく知りませんが、

Inder, kommen Sie!

とでも綴るのではないでしょうか。
 似ているけれど、意味はまったく違う。大川は、植民地時代のインドに大いに関心があったそうだから、「インド人うんぬん」というせりふが出てきてもおかしくはないです。すぐ後で「出て行け」とか「すわれ」と言っているので、ここもやはり「こっちへ来い」と言ったのではないかという気もする。
 ただ、どう言ったかによって、大川の人となりというのが変わってくるでしょうから、歴史家にとっては問題になるでしょう。
 現代史の本に、大川の叫びとしていろいろな説が載っているかもしれませんが、そこまで調べる余裕はありませんでした。

 そういえば、『吾輩は猫である』で

「ずうずうしいぜ、おい」
「Do you see the boyか。――なに君と僕の間柄じゃないか〔後略〕」
(『漱石全集』1 p.481、文字改める)

という日英語のしゃれがあった。あまり関係ないか。
18世紀にフランス人医師オルディネールが医薬品として生み出した、ニガヨモギ(アブシンティウム)の精油成分ツヨンを多量に含んだ薬草酒。

まず、スイスで初めて売り出され、19世紀後半にはヨーロッパ各国で大流行したアブサンは、当時、中毒性を持つアブシンソールという精油が含まれた為、画家ピカソや作家ヘミングウェイなど著名な芸術家たちの魂を虜にし、また、彼らがインスピレーションを求めてアブサンを愛飲したことは有名なエピソードです。

まさにその時代の文化の象徴でもありました。

しかし、100年以上にわたって流行と栄華をもたらしたアブサンも、1915年には、製造および販売が禁止され、その存在が伝説となりました・・。


そして、第一次世界大戦後には、いくつものアブサンに似せたリキュール“パスティス(フランス語の似せて造るという意味の「パスティシェ」からくる)”がアブサンの代替品として造られました。ただし、パスティスですので、原料にニガヨモギは使用されておりません。

さらに、1981年には、当時のアブサン禁止の主要因であった、材料のニガヨモギに多く含まれているツヨンの残存許容量を、10ppm以下とすることで世界保健機構(WHO)が正式に承認。その枠内で、できるだけ復元したアブサンの現代版が製造・販売されることになりました。