今朝大好きなばあちゃんが他界した
私の娘時代の避難所だった

働くのが大好きでお小遣いくれるのが生きがいだった

10年前は原付で海に貝採り、山で山菜採り、その後スイトピー畑で仕事
腰曲がってるのにヘルパーさんのヘルパー
それが日課

ある時脳梗塞で倒れた
右半身麻痺
当然、原付は取り上げられ
長男の嫁のところにお世話になることに。

どんどんあの元気なばあちゃんの目力が
弱くなってく

脳梗塞の後遺症で認知症が出てきた
台風の日に徘徊、大騒ぎなった
毎日ばあちゃんは落ち着かないみたいだ

久々大阪から帰省した私に
いつもみたいにお小遣いを渡したい…
けど、長男の嫁にお金握られて
渡すお金なくて泣いてしまう
ばあちゃんを見るのが辛かった
見兼ねた母が少しのお金握らせて
それを私に渡すと
なんとも言えない顔でニッコリ笑ってた

ひ孫がどんどん増えてく中、私の子だけは認知入っても覚えていてくれた
嬉しかった

認知のせいで長男の嫁とも折り合いが悪くなり、更にばあちゃんに覇気がなくなっていった
長男の嫁も限界みたいで
…そして特養に入れられた

意外にも、特養に入ったばあちゃんは
生き生きしてて、一緒に入所している方のお手伝いとかして、昔を思い出したのか 
少し元気になったように
見えて安心した

けど

それも長くは続かず、肺炎おこし
付属の療養型に入院になった

酸素は常に必要な状態
なのでなかなか特養には戻れない
そこの療養型はスタッフが足りてない
医者は殆ど廻らない
看護師も殆ど姿を見たことがない
なぜか拘束されてる
酸素マスクを取るから、だそう
仕方ないのだけど
テレビもない病室
これじゃ認知も進むやん…
ばあちゃんテレビ大好きやったのにね

私は年に2回くらいは帰省するたび
会いに行く
ばあちゃんの状態はそこから
良くなることはなかった

今年夏に帰った時、なんか弱ってる気がした
「ゆきちゃん…」て言って
手を離さなかった
「ばあちゃん、早く元気なってよ、ねえ、
これ誰?」
て、私が息子達を指差ししたら
ニコニコしながら
「次男くんと三男くん、あれ、長男くんは?」

あ  やっぱ覚えててくれた…
嬉しかった

その後、母が内緒でプリンを持ってきた
全部食べた

母はこの地域でも割と有名な看護師で
ばあちゃんの入ってる病院は昔から
評判悪く、母の勤めてる病院の
近くなので情報も入る
母が、

「ここの病院はおやつもないの、早くこの病院からだしてあげたい」

自分の母親がこんな状態なるって
覚悟あってもキツイと思う
私もこの覚悟はせなあかんねやろな

帰り際
「帰るね、ばあちゃん」
て言うても、手を離さない
どうしたんやろ?
もう片方でばあちゃんの手を
ポンポンとたたいた
スルッと離れた
ジッと私の方見て目を離さない
「バイバイまたね、次また帰ったら会いにくるね」

なんか凄く寂しくて悲しくて涙がとまらなかった、何でかはわからないけど

あんな元気やった人がこんなに弱るんや
でもまだ元気なる可能性あるよな
酸素はずれたら、また特養戻って
元気なると信じたいって思ってた

まさか、なかなか離してくれない手
最後になるとは思わなかった

あれしとけばよかった
これしとけばよかった

後悔が
なんぼでも湧き上がる

亡くなる一週間前
母から電話で
「ばあちゃんがね、プリンを一口しか食べなかったの。あんまり長くないかもね…」

その時は、そんなことあるか
今年は越える。
て、根拠のない自信があった 
…信じたかったんやろうなぁ


88歳、米寿。

ばあちゃんは働き詰めがお似合い。

病院で縛られてることから解放されて
また天国でじいちゃんと原付で走り回ってるんやろな

明日、会いに行きます