というのはですね。

今日も「燃えるゴミ」と書いてあるゴミ袋に

ペットボトルが入っていたから。


母はもう杖無しではほとんど歩けないので

勝手口を開けて外にあるポリバケツに

ゴミを捨てにいくことはできず、

勝手口から外にポイポイ投げる。


ということは、

その外に投げられたペットボトルを

ポリバケツに入れているのは

父である。


プラごみも、

分別が難しいらしく、

私が「ここにこう、プラって書いてあるのが

プラごみだよ」と言って、

透明のビニール袋に分けていたら

昨日、そのビニール袋に枝や草刈りした雑草も

一緒に入っていた。


プラごみが

どうもよくわからないらしい。

さらに細かい字は見えないから

そりゃあ高齢者が、

ゴミの分別ができずに

家にゴミを溜めてしまうのは

仕方ないのかもしれない。


そして人間って、

順応性というのがあって、

だんだん慣れてきちゃう。


現に私も

実家に戻ったばかりの頃は

テーブルの上にいつもモノが出ていて

それにイライラしてたけど、

片付けたら片付けたで

両親は片付けられた場所を忘れてしまうから

新しいモノを出してきたり

買ってきたりするので

結局テーブルの上にはいつも

モノが乗っていて。

私も諦めるしかなくて。


そうしたら、

いつのまにか

気にならなくなってきたよね。

それがら当たり前のように。


いかにして

私がストレスなく

同居ができるか。

それを考えると

プラごみを分別せず、燃えるゴミに

一緒にしてしまう、

それしかないなぁと。


高齢者が自立して暮らすのって

この日本のシステムじゃ無理だと思う。


やっぱりそれなりの施設に入ったほうがいいよ。