私が両親と奈良の信貴山にある成福院に行くようになってもう20年近くの年月が経つ。
始まりは、母の姉が、当時習っていた易の先生に勧められ、
毎年節分の頃に母と母の姉、そして母の叔母の3人で
京都旅行を兼ねて行き始めたのがきっかけだ。
そのうち、叔母が「もう行くのをやめる」と言いだした頃に
私に誘いの声がかかり、私の子供もなんとか旅行に連れて行けるぐらいの年齢になっていたので
叔母の代わりに私がその旅行に参加するようになった。
そのうち、母の姉がアルツハイマーになり、参加できなくなり、
私の子供も受験などで参加できなくなり、
数年前からは本当に親子3人の京都旅行になった。
その母も、おととしぐらいからだんだん旅の手配や支度がおっくうになるようになったらしく、
去年はとうとう旅館と新幹線のチケット購入がスムーズにできなくなり、
今年はついに「めんどくさいから、もう今年は行くのをやめようと思う」と言いだした。
と思ったら「お父さんは行く気らしい」と言ってみたり。
何度も
「やっぱり行く」
「やっぱりやめようと思う」
という会話を繰り返し、やっと
「本当に行くのね、だったらホテルをとるよ」となかば強引に行くことを決めた。
去年も信貴山に行って、「もっと歩かんといけん。歩けなくなった」と言ったのに、
やっぱり日常はどこに行くにも車。
だから今年は去年に輪をかけて歩けず、父に「3歳児みたいな足取り」と言われるほど。
もう、何もかもが面倒くさいらしい。
それに比べて、85歳になる父は元気だ。現役で仕事を続けているせいだと思う。
毎年この時期にお参りをするようになって、20年以上の月日が経った。
父が「毎年毎年お参りして、何かご利益でもあったんかいな」と言ったら
母が「こうやって病気もせず、元気に80過ぎまでここに来れるというだけで
十分ご利益があったというもの」と言った。
そう。
それで十分なんじゃない?
お父さん。