人当たりがいい。優しい。元気で明るい。いつもニコニコしてる。
って、よく言われるんだけど、基本的にはひとつも当たってないな、って思う。
まあ実際、人当たりもいいし、優しくて元気で明るくてニコニコはしてるんだけど、等しく全員に興味がないので、万人に対してそうだ、というだけで。
そもそも私は他人と比較して自分を低く見てしまう癖があって、一般的な同年代と比べたときや久しく連絡を取ってない人の情報を得たとき、とてつもない虚しさや寂しさを感じてしまう。
誰かが傍にいてくれるだけで安心する。
そのために自分ができること。それなりに愛想を良くしてれば、頼まれたことを断らなければ、元気に明るく機嫌を一定にしてニコニコしてればみんな近くにいてくれるから。
そのためだったら偽物の仮面くらい張り付けてやんよ。
5年前の春。(え?5年前???)
同期に会いに新潟まで行ったことがある。
会いに行くほど私はその人を運命にしたくてたまらなかったし、好きになってほしくてどうしようもなかったけどそれはまた別の話で。
新潟の彼は、ニセの笑顔で高いソファ売り付けてるんだね、って私を笑ったことがある。
時々それをふと思い出しては、ああやっぱりわかってくれる人はいるんだな、と思う。
今思えば、それは彼本人が毎日偽の笑顔で仕事をしてたからこそ、自虐的に言っていたのかもしれないけど。
それでも毎日楽しそうだよね、なんて言われた日には別にそういうわけではないなんて言えなくて、楽しいです!って脊髄反射のように返事をしてしまう。
本当は、妬ましくて羨ましくて眩しくてたまらないのにな。
誰かの結婚も、誰かの出産も、誰かの出世も全部。
世界中の誰かは幸せなのに、私は幸せなんだろうか。
だけど私は恵まれているほうの人間で、決して不幸なんかじゃない。
それがまた私を惨めにさせる。
人並みの幸せ、一般的な価値観。
先日、実家に帰って一緒に近所のスーパーに行ったら、同級生のお母さんに会った。
久しぶり~、変わんないね~!!と言ってから聞いてもないのに息子の話をはじめて、実はもうふたりも孫がいて私はおばあちゃんなんだよ、あそこの○○ちゃんは去年結婚式挙げて、近所の△△ちゃんは同棲してこんど結婚するって~!!あなたはどう??
仮面が外れるかと思った。
同棲してたけど別れて出戻りだよ♥️
って言ったけど、おばさんには通用しないから、いい人いるといいね~可愛いから大丈夫!って励まされてしまった。
今すごくひとりを充実してる。
強がりでもなんでもなくて、ひとりで出掛けることを楽しく思っている。
何する?こうする?ああしたい?なんて誰かに聞くんじゃなくて自分が自分に問いかけてあげる。
今日はほんとはマックみたいなジャンキーなのが食べたかったけど、学校帰りなのか友人たちと笑い合う声とか、イヤホンをつけて周りを遮断しながら突然喋り出してパソコンを広げた人たちとか、たくさんいたのでより孤独を感じそうだったのでその目の前の喫茶店でランチ。
年齢層の高めなその喫茶店で、ランチメニューの、ビーフカレーと水だしアイスティーを飲む。
隣の席の知らない会社の知らない仕事の話をなんとなく聞き耳を立てる。
たくさんの話し声が、みんな一生懸命生きているんだと感じさせてくれて、私はまた強くなれる。
どうしたい?わたし。
なにしたい?わたし。
ああ、やっぱりポテトが食べたかった。
それでも不思議と満足度は高くて、さあこれからなにしようかな、とまた歩き出す。
ひとりは寂しい。
それは変わらないし、いつかはやっぱり一緒に居たいと言ってくれる人に会いたいなとは思う。
でも神様もう少しだけ待ってほしい。
私は今ごろになって、自分を大切に出来るようになってきたから、もう少し自分を甘やかせたいんだ。
もっと自分を心から好きになりたい。
どんな人の前でも自分らしくいられるような、自信溢れるそんな人に。
自分の持つ劣等感とか、不安とか、孤独とか、妬みも虚しさも全部、抱きしめてそれが自分なんだって認められるような、そんな自分にもう少しでなれる気がするんだ。
大好きだよわたし。
世界でいちばん可愛くて、大切で、愛してるよ。