伝えたんく

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拙サイト「幸たんく」のプログです。
 変な名前のサイトと思われるでしょうね。
 自分の感じた様々な幸せ語りたいと思っています。
 幸せの基準は,私個人の感覚です。悪しからず。

 今回のお話は1月10日(土)の取材である。

2025年11月16日投稿の「行かないと・・・」のアンサーソング①である。

 その時の投稿で使った画像がこれだ。ググルさんからいただいた。

 

 近いうち、この戦争遺跡は取り壊されるのではないか・・・

ということを語った。

それから2か月弱のインターバルで訪問することができた。
 


2006年11月12日訪問、草がぼうぼうである。

 

今回の訪問では、1枚目の画像の通り、周囲を緑色のネットが取り囲んでいた。


緑のフィルター。

 

 取り敢えず、会うことができた。

以前軍艦島の30号棟(日本最古の鉄筋コンクリート住宅)が崩れる(現在崩壊が進んでいる。)前に会えたことを思い出した。


2017年6月17日、軍艦島第3見学広場にて、ゆきたんくと30号棟のツーショット

 

 次のテーマは、この戦争遺跡「旧検見川無線送信所」が残るかどうかということだ。

通信省、日本電電公社り無線通信所で、日本で初めて短波による標準無線を送信した施設だ。

第二次大戦中に南方の占領地との通信拠点になったということで、戦争遺跡のカテゴリーに入れてある。

 

調べたら、千葉市の中学校用地として志木市を取得した。

本館の建物も取り壊される方針だったそうだが、2007年に発足した「検見川通信所を知る会」が中心になって保存運動を開始し、市も保存の方針を示している(以上出典はwiki)そうだ。


2018年9月23日の取材時は、このように草だらけ。

 

 前述のwikiにある記述に触れていないので、「いよいよ開発、市取り壊しか・・・」ということで11月の記事を書いたのだが、まずは自分の目で見ないと・・・

 


上写真の給水塔の上部は冬なので草があまりない。

 


東側に緑フェンスが無い所があった。本館全景。

 


鉄製の錆のあった鉄板で覆われたところは新しく窓付きの蓋がされた。

 

 このことから取り壊しは無くなったと判断した。

壊すのなら、こんな窓を取り付けたりしない。

 


工事のためのプレバフが建っており、その奥に本館が隠れている。
 


上写真左側のスペースを正面から見た。水関係のインフラが終わっている。

 

 インフラに気づいた時に、安心したのだ。

 インフラ工事の後に施設の取り壊しはないだろう。

 本館に近い場所にも、インフラが完成している所があった。

 

  要は、この記事を書いている時に知った中学校の新設があるかどうか。

 そして、その敷地の中か横に送信所が史跡として残されるのか。

 東大和市の東大和南公園の中には、戦争遺跡(遺構)として「旧日立航空機立川工場変電所(東大和市文化財)」が残されている。

 現在では、休日になるとその戦争遺跡の前で、シートとお弁当を広げる家族も多々いる。

旧日立航空機立川工場変電所 ← 名前をクリックしてほしい。

 地図が貼りつけてある。公園(98,719.71平方メートル)の中での立ち位置が分かるだろう。

ちなみに、送信所のあった所、隣の検見川グラウンドや公園などの広さを概算してみた。

台形に近い敷地の面積は(100+190)×350/2で約33,250平方メートルだ。

 東大和市は最初から公園があり、その周囲に建物が建っていったという感じだが、ここはすでに一戸建てに囲まれた地域なので周囲の住民は賑やかさを求めていないだろう。東大和の広さの1/3の規模だが、公園にするといいのになというのは個人的な意見である。

 これで2つ目のテーマの、「遺る」ということは確実だろう。

 はい、「遺してね3」でした。