【2冊目】『沈黙』遠藤周作
遠藤周作『沈黙』(新潮文庫)について。うーーん。読んでる間、ずっと心がどんよりしていました。心の中でずっと雨がしとしと(ときにザーザーと)降っている感じ。良いときでも厚い雲に覆われた灰色の空。この小説を色で表すならば迷わず灰色。日本のみならず、海外でも読まれているこの小説。江戸時代、キリスト教が弾圧されていた頃に、日本に上陸したポルトガル人司祭(パードレ)のロドリゴが主人公。ロドリゴは、日本で布教活動をしていた尊敬する司祭フェレイラが棄教したという知らせを聞き、同志のガルペと日本に潜入します。そこで隠れキリシタンたちに出会い、自分の司祭としての使命に強い喜びを覚えるものの、キリシタン達が残忍な方法で拷問され、処刑される場面を目にし、なぜ神はこの現状を見て見ぬふりするのかと苛立ちにも似た疑問を抱き始めます。ロドリゴ自身もキチジローという男の密告により捕えられ、棄教を迫られます。ガルペや日本人信者が信仰を貫き殉教していく中、ロドリゴは・・・という、彼の葛藤の日々が描かれた話。キリシタン弾圧。昔学校で習ったときはそこまで詳しく聞かなかったけど、やはり相当残酷な方法で拷問されたり処刑されていたのですね。。穴吊りとか、雲仙地獄責めとか、あまりの残酷さに読んでると心臓がバクバクしました。ネタバレですが、最後、ロドリゴは穴吊りにされていた三人の信者の命を救うため、踏み絵を踏んでしまいます。どんなに脅され拷問を受けても、信仰を捨てることを頑に拒否し続け、しまいには処刑されて殉教する者。一方、信者の命のためではあるけれど、踏み絵を踏み、自分が生涯を捧げてきた信仰を捨てると宣言する者。前者は分かりやすい強さ。後者(ロドリゴ)は、「なに踏んでんねんこの弱虫が信仰心はどうしたんじゃー」と言われてしまいそうだけど、でもとてもとても強い人だよな。。神と呼ばれる存在は、踏まない者も、踏んでしまった者も、愛し、赦してくれるのではないかと思いました。信じているか否か、最後はそれだけだと。ロドリゴも神のその大きさに気づき、ついに踏み絵に足をかける恐怖と、神の愛のあまりの大きさに震えながら踏み絵を踏んだのではないかと想像しました。この小説、ロドリゴが主人公ですが、キチジローという登場人物がとても印象に残りました。彼は元はキリシタンだったものの拷問が怖くて早々に踏み絵を踏んで棄教。その後マカオでロドリゴとガルペに出会い、彼らの日本への潜入を手伝い、隠れキリシタンとロドリゴ達を結びつけるものの、その後銀貨を得るためにロドリゴ達が潜んでいることを密告。でもキチジローはロドリゴの後をどこまでも追いかけて、告解を聞いてくれるように、そして自分を許してくれるようにロドリゴに懇願します。自分のような弱いものはどうすればいいんだと嘆きながら、どこまでもロドリゴを追う姿、とても人間臭くて、弱くて、でもある意味自分にまっすぐで、やっぱり強い、、のかな。きっと神は彼のことも愛し赦すのでしょう。ちなみに私はキリスト教やその他宗教に詳しくないので、以上すべてど素人の感想です(そうえいば通った高校がクリスチャンスクールだったような気がしなくもないけど・・・)。そもそも、この本を買った理由は、以前読んだ『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』という本がとてもとても面白くて、キリシタンのことをもっと知りたくなったから。『みんな彗星を…』は「私的」とあるとおり、筆者が自分の思うままに突っ走って当時の宣教師達の足跡を追うノンフィクションで、筆者の宣教師や信者への熱い想いがボトボトと溢れている一冊でした。熱意に圧倒されて、そして最後結構感動しました。キリシタン大名も気になるし、あとは幕府側から見たキリシタン政策についての本なんかも今後読んでいきたいです。沈黙改版 (新潮文庫) [ 遠藤周作 ]みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記 (文春文庫) [ 星野 博美 ](5月19日 読了)