ハラスメント(パワハラ・セクハラ・モラハラ)・引きこもり・非正規労働・食品偽装・従業員による商品盗難…。物語の舞台であるスーパー「フレッシュかねだ」は、社会問題の縮図だ。パートタイマーとして採用された樋野秋子(沢口靖子)が異物として混入することで、店内の暗部が次々とあぶり出されていく。そうした展開の痛快さと、秋子自身が知らず知らず組織に染まっていく過程の苦悩が、作品の見所である。

 成城暮らしのマダムが、夫の失業によって社会復帰する。演じる沢口の容姿と相まって、庶民の暮らしに迷い込んだ不思議の国のアリスに見えなくもない。沢口は58歳という。若々しくてキラキラと輝くフランス人形のような印象は変わらない。

 観客として無上の喜びは、生瀬勝久との共演だ。三谷幸喜の「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」以来、20数年ぶりに二人の掛け合いを観た。冒頭しばらくして舞台上に並び立った瞬間、モノクロ画像に色が付いたような錯覚を味わった。二人が放つオーラには、これぞスターの説得力があった。

 生瀬の役は、品出し担当の貫井。大手企業の部長職をリストラされたパートタイマーで、若い副店長の竹内(小川ゲン)からパワハラを受けている。夫が同じ境遇の秋子と意気投合し、不正と戦おうと立ち上がる。

 典型的なダメ親父がイケ親父へと変貌していく様は、現実社会のどこにでもいそうな中年像をうまく体現していた。いい感じで力の抜けた円熟味溢れる演技に魅せられた。

  ◆   ◆

 舞台上に広がるのは店内ではなく、従業員の休憩室。来店客の存在を気にせず本音で話せる空間として、物語を縦横無尽に展開できる設定が上手い。作家永井愛の筆が成せる技である。

 従業員は、本社から派遣された新店長恩田(亀田佳明)と、古株店員春日(土井ケイト)の2派に割れる。分かりやすい対立構図だ。一見すると、新店長側が既得権益を守ろうとする古株側を正すように思える。

 が、ひと筋縄でいはかないのがこの作品の醍醐味だ。店長は店長で不正を働く。罪の中身は、相手側より重いとさえ感じる。店長側に立つ秋子は、その罪に巻き込まれていくわけだ

 精肉の消費期限を偽装する仕事を依頼されたとき、彼女は8万円の特別収入と引き換えに魂を売る。そこに葛藤はあった。罪の意識に苛まれ仕事を辞めた前任者の青年小見(田中亨)が来訪し、彼女に懺悔する。彼女が後任とは知らない。

 小見が絞り出す一言一言に、秋子は「へえ」「まあ」「あらぁ」「うーん」「うわぁ」と人ごとのように相槌を打つ。自分が後任とは言えない。彼女の苦悩が滲む大事なシーン。そこにこそ女優沢口靖子の真骨頂が何よりも感じられた。

 ◆   ◆

 登場人物で興味深いのが、初老のレジ担当小笠原(水野あや)だ。21年間一度もトイレに行くことなく、勤務中も休憩時間も店に尽くしてきた。口癖は「どうなんでしょう」。意見を求められると、常に受け流す。当たり障りなく過ごすことで、敵を作らずに自己防衛を図る。

 著者自身もサラリーマンとして、20年近く働いてきた。いろいろな板挟みにも合い、「どうなんでしょう」と逃げたくなることも少なくない。家族に給料を持ち帰ることが自分の最大の役割と考えたとき、彼女の消極的な姿をあざ笑えない。

 もう一人が万引きで捕まる客を演じた石井愃一だ。東京ヴォードヴィルショーなどで長年活躍する名バイプレイヤー。一幕終わりの短いシーンだったが、男の悲哀を感じさせる名演だった。石井を観られたのは、今回の観劇の大きな収穫だ。

  ◆  ◆

 物語のラスト、試食パフォーマンスのアイドル的な存在になった秋子は、「もうまもなく始まります」という店長のマイクアナウンスを休憩室で静かに聞く。そのまま幕は降りる。

 生活するためにはお金が必要。彼女はおそらく店頭に立つ。そこに先ほどまでの葛藤はあるのか。恐らく無くなっているのだろう。以前よりも客が増えた一方、不正は続く。果たして、「フレッシュかねだ」は今後どうなっていくか。そんな想像を楽しむ余韻があった。