上杉謙信女性説は、越後国戦国大名 上杉謙信 が実は女性 であったとする説である。

上杉謙信にまつわる逸話、伝説、俗説は数多く存在し、女性説もその俗説のひとつである。


                     理由、根拠



・上杉謙信の死因が大虫と呼ばれていた婦人病だった。


・『松平記』によると、北条軍が上杉領に侵攻してきた際に6月11日から10日間ほど腹痛を訴え、出陣せずに城内にて子守をしていたとされる。この10日前後に周期的に発生する腹痛とは生理痛 ではないか。というものである。


  • 中国の大唐西域記 では毘沙門天 の女性的な側面が描かれている。そのため、女性である謙信は毘沙門天の化身と名乗ったという説がある。

  • ・男性として語り継がれた理由

    戦国時代 当時は、御成敗式目 が武士の基本法典としてまだ有効性を持っており、女性による家督相続を認めていた。これに基づいて立花誾千代井伊直虎織田信長 の叔母おつやの方 などの女性城主がおり、安土桃山時代 にも足利氏姫 などがいた。女性城主は特に珍しいことではなかった。

    しかし江戸時代 に入り、徳川家 が幕府を開いた後は、女性当主は認められなくなった。上杉家は謝罪によりやっと許しをもらったが大幅に土地を没収され、米沢藩 30万 に減転封されるなど、上杉家の立場は弱くなっていた。

    上杉家は女性当主の存在が「謙信の代で上杉家は断絶している」という口実で改易 となるのを恐れ、謙信が女性という証拠になるものを処分し、無理矢理男性にする必要があったのだという。



    ウィキから参考



    感想・・・でも謙信って男しか登れない山を2度登ってるんだよなぁ・・・・。どっちなんだろう

    まぁ、俺は男説の方を信頼してますけど。