おはようございます!
 
アラフォー現役秘書の 紺野由希 です。
 
週末起業を目指して模索中の日々 照れ
 
 
 
 
前回の続き音符
 
 
母親に 無意識で 復讐していたこと
ようやく に気づいたのに 
 
よし!! 私 幸せになる! 
 
そう はっきりと口に出して
言えなかったんですね 
 
 
自分で 自分に  
もう幸せになっていいんだよ  
という許可が出せなかった っていうのかな  ショボーン
 
 
でも 考えてみてください!
 
自分の幸せですよ 
誰もが 幸せになりたくて生きてるはずなのに 
おかしいですよね 
 
幸せになりたくて 
毎日笑って過ごしたくて 
 
でも できないから 悩んでるのにアセアセ
 
 
私も 幸せになりたいから 
自分に 足りないものを  補わなきゃて
ずーっと ずーっと 頑張ってきたのに 
 
まぁ、 そもそも
足りないって発想が間違ってるんだけれど ガーン
 
私は 私であるだけでOKで 
今まで 本当に頑張って生きてきたんだもの 
 
それに間違ったって思っていることも 
ぜーんぜん 間違ってなんかない 
 
ここにたどり着くための 
過程でしかない 
 
 
幸せになっていい って 
自分に 許可さえ出せない 
 
どうしてかな・・・ 
なんでできないんだろう・・・ 
 
頭が真っ白になったあとに出てきた答え 
 
それが 
 
自分だけ幸せになったら申し訳ない 
自分だけ幸せになったら お母さんがかわいそう  ガーン
 
 
幸せにならないことで 
母親に 復讐していたくせに 
 
自分だけが幸せになったら 
お母さんがかわいそう 
 
意味わかんないし!! びっくり
 
って思ったけど 
 
私は 母親を 小さいころから ずーっと  
かわいそうな人アセアセ
って思っていたことに気が付いて ハッとしました 
 
かわいそうだから 
私が守ってあげないと 
 
私がお母さんを助けてあげないと 
 
だって
お母さんは かわいそうな人…
 
 
私の母は 
幼いころに実の母親を病気で亡くしています 
 
育ててくれた女性がいますが 
今の祖母ではありません 
ちょっと複雑な家庭環境の中育ちました
 
また 母親は 中学生の時に大病を患い
1年休学したため 中学年を 2回やっています 

 


 
私は物心つくころから 
母の生い立ちを

昔の思い出として 聞かされて育ちました 

 
 
小学校1年生の頃は  
5つ離れた姉の6年生の教室で
授業が終わるまで一緒に過ごさせてもらってたこと 
 
高校の修学旅行では 
既に結婚していたお姉さんの旦那さまに
おこずかいをもらって参加したこと 
 
私を出産するとき 
重度の妊娠中毒症で命も危うかったこと 
 
さらには 何度も手術が必要な 妹の出産のこと
 
 
母から聞かされたすべてを 
お母さんかわいそう
私は そう 変換していたのです ショボーン
 
 
けれども 実は
 
母親は
一度も 不幸せ だと思ったことがない と言っていました 
 
ん? って思った方 いらっしゃいますよね? 
 
そう
母親は 自分のことを 不幸だなんて
ちっとも 思っていなかったんです 
 
私が勝手に  
お母さんは大変な人生を送ってきた 
かわいそうな人 
 
そう思っていただけでした ガーン
 
 
「子供たちがみんないい子で優しくて 本当に幸せ」

 

という母を見て
母は かわいそうな人・不幸せな人 だから 
私たちだけが幸せのよりどころなのだ
 
私は本気で思っていました アセアセ
 
 
でも、 思い返してみると 
母は いつもいつも 口癖のように言ってたんですよね 
 
 
私の人生は 本当にいろんなことがあったけど 
みんなに大事にしてもらったし 
何かあれば 誰かが助けてくれたし 
いつも亡くなったお母さんが守ってくれていたんだと思う 
かわいい子供が3人もいて 
しかも みんな親思いで 優しくて すごくいい子 
私は 幸せ者ね
 
 
母を かわいそうな人 にしていたのは 
まぎれもなく私 
でも それは子供の思い込みと勘違い 
 
 
それに気づいたとき 
もっと母の笑顔が見たいと思いました 
 
私も幸せになろう !
そしたら みんな幸せ 
みんな もっと笑顔になるんだな 音符
 
 
自分に許可が出せた瞬間でした 照れ
 
 
まだまだ 立ち止まることもありますが 
私は やっとスタート地点 
自分を幸せにすると決めました キラキラ
 
 
もっとたくさんの人と出会いたい
もっとたくさんのことを知りたい 
もっともっと自分の世界を広げたい
  
愛と笑顔が自然に湧いてきて  
コンコンとあふれ出るような
豊かな世界を見たいと思っています ウインク
 
 
 
愛をこめてハート
由希