私は数年前まで生きる力も、目的も失っていました。


子供の時から死ぬことばかり考え、自ら死ぬことで役に立つと思えるほどの悪い存在になりました。


しかし、完全に決心していたにも関わらず死ぬことに失敗し、愛の存在を知覚しました。


一変して死んではならないと考えるようになりましたが、生きるために必要なことが何一つわかりませんでした。


そこで私は天の存在に対して、私を道具として用いて下さるように強く願いました。


様々な悪い習慣や人間関係を悉く思考によって明確にし、対応するだけの適応力を身につけました。


火によって燃やされるような自己認識を繰り返し行い、そして今年から、高次の認識力を身につけるための道を進み始めました。


高次の世界の認識力を身につけるための知識が、私を生かし、私が生きる理由になっています。


この現実において全く無気力で生命への不信感に溢れた人間が、新たに生きていく力を得るのにどれほどの恩寵が必要でしょうか。


私は確かに生きています。


このことは私が助けを必要とした存在たちが私たちの身近にいて、その存在が助けを求める者のために惜しむことなく助力する慈悲深い存在たちであることの証明になると考えることができないでしょうか。


私は自分の命を誇ります。


彼らの愛情深い働きの故に私がいます。


私の活動を見るものは誰でも彼らの働きをも目撃していると言えます。


私が生きていく明日を新たに見続けるための高次の認識力を与える者たちの働きに、深く感激し、尊敬の念を抱きます。


私たちは苦しい時代のなかに生きていますが、それでも素晴らしい世界が少しも減ることがないという揺るぎない確信があります。


全ての苦しむ者たちの上に限りない祝福と、神々の恩寵が降り注がれることを祈ります。