小澤征爾とBSO | 駐在員さん 〜2周目のアメリカ生活〜

駐在員さん 〜2周目のアメリカ生活〜

米国、一時フランス、中国、米国再駐で通算24年加算中。慶應大文学部卒。経営ノウハウの学術化を目指し、商学部の教授から論文指導を受け、人間関係学の学位取得。
延べ19年目のアメリカAnother Skyから発信します。

ボストン・シンフォニー・ホール


コンサートに来ました。若き天才といわれているイム・ユンチャンとボストン交響楽団(BSO)が奏でる「ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番」



  1時間前でも人集り


入場のピークはだいたい開演の30分くらい前。

既に人集り。

私は、だいたいワインなどを飲むので早めに。


中に入るとラウンジでワインを飲みながら、居合わせた女性と談笑。





  入場


座席は前から11番目のセンターから少し右寄り。


前過ぎず、音のミックスが最適なベストの場所。

ピアノの音と特にこの曲であればチェロやバスがドシっと聴こえるので、この席取れて良かったです。










ホール内散策

スタインウェイが光る



マエストロ・オザワ


ボストン交響楽団にとって今でもマエストロ小澤征爾は最大の貢献者として今でも敬愛の対象です。

その功績を讃え、タングルウッドにはオザワ・ホールも造られたほどです。


(写真は借用しました)



歴代最長の29シーズンに渡り音楽監督を務め指揮棒を振る。


彼のBSOへの貢献は計り知れない。元々、ボストン交響楽団は名門でしたが、それをさらに世界に広めたのは小澤征爾の活動が大きい。ボストン交響楽団は国外での演奏会を多数企画し、実際に催しました。

特にアジアでのコンサート開催も彼が仕掛けたものです。長野オリンピックの時は「第九」もやりましたね。


追悼

亡くなった小澤征爾を偲び、プログラムに追悼メッセージを挿入。


改めて追悼プログラムを発表するそうです。

ホームページにも特別ページが。

https://www.bso.org/press/in-memoriam-seiji-ozawa



  展示


小澤征爾の活躍は、ホールの回廊の至る所に。



コラボの記録とか


29年間の功績とか



とにかく色んな巨星とコラボしたりとか。

右にいるのはヨーヨーマ。左はイザック・パールマン。




アジアへの拡がり


世界への拡がり


1960年代までではヨーロッパ、オーストラリア、アジアの一部まで少しずつ広がっていった海外での演奏会は小澤征爾が加わってから加速。

4カ国だったものが、18年で19カ国まで拡がりました。

初めて欧米の中国本土での開催となった上海と北京での演奏会は、マエストロオザワが率いるボストン交響楽団が初でした。

彼の最後の海外公演の締め括りはパリのエッフル塔の足元の広場で開催した演奏会でした。


ご冥福をお祈りします。