コロナ後の世界(2)。西洋哲学史II | 駐在員さん 〜2周目のアメリカ生活〜

駐在員さん 〜2周目のアメリカ生活〜

米国、一時フランス、中国、米国再駐で通算24年加算中。慶應大文学部卒。経営ノウハウの学術化を目指し、商学部の教授から論文指導を受け、人間関係学の学位取得。
延べ19年目のアメリカAnother Skyから発信します。

コロナ考

コロナ後の世界。
『ホモ・ルーデンス』を書いたイスラエルの哲学者ハラリ氏がフィナンシャル・タイムズにコロナ後の世界について寄稿。ちょっと戦慄走るが今すぐ行動をしなければ厄介な世界になると警鐘を鳴らす。受け止める必要あると思う。昨日書いたイアン・ブレマー氏の話と重ねて考えると共通性もあって示唆的。

ハラリ氏は二つの選択の必用が迫っているという。一つは全体主義的な監視社会と民主主義強化と選択であり、もうひとつは偏狭なナショナリズムの台頭とグローバル連帯。

"In this time of crisis, we face two particularly important choices. The first is between totalitarian surveillance and citizen empowerment. The second is between nationalist isolation and global solidarity. "

今回のコロナ禍では、中国や韓国で発揮したように防疫を正当化した徹底的な監視システムの導入である。個人の行動は全て把握され、位置情報、監視カメラ、チャットの更新記録など個人情報を完全に乗り越え「命を守る」という正義の名のもとに完全に正当化されたことである。
今でも街の至る所で体温が計られバイタル情報ともリンクされる。中国では警官がサングラスをはめAIと連動して、瞬時に発熱者や指名手配者を認識する技術導入も進めている。ハラリ氏はそれが技術によってさらに進められれば、例えばブレスレットなどの装着を義務付ければ、常時バイタル情報が得られ、感情を示すデータも得られるようになる。心が読まれるようになれば、映画のどんなシーンで泣いたり、怒ったり、笑ったり、感動したりということも把握できる。ニュースなどで為政者に対する怒りや嫌悪などが知られるということになればどうなるか……。監視社会の行く末として十分想定できる。
ハラリ氏はそれらを逆に政権監視に使うべきだとも言っている。それが民衆へもっと力を与えるのではないかと。

グローバル連帯とナショナリズム。これは昨日の論と重複するので割愛。

↓英語わかりやすいので是非。


西洋哲学史II(再x3)
核心部分を構成中。
意外と手書きの方がまともな文章になる。