1567年9月17日(永禄10年8月15日)は尾張の戦国大名織田信長が美濃の斎藤氏を滅ぼし、小牧山城から稲葉山城に居城を移し、稲葉山城と城下町を岐阜と改めた日に当たります。




この時、有名な逸話として、この『岐阜』という地名は、天下を治めるにふさわしい名はないかと募集をかけたところ、古代中国で周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで城と町の名を『岐阜』というアイディアが出てきました。
信長はこの名前を痛く気に入り、これ以後稲葉山城と城下町井口を岐阜改めました。
またこの頃から信長は自身の書状に『天下布武』の朱印を用いるようになり、『武力を持って天下を統べる』とし、本格的に天下統一を目指すようになりました。