1912年4月14日は豪華客船タイタニック号が氷山にぶつかった日です。
タイタニックはイギリスのホワイト・スター・ライン社が製造した船で、当時世界最大の豪華客船として知られていました。
またこの出来事を映画化されたことで知名度が上がりました。

1912年4月10日、タイタニックはイギリスのサウサンプトン港にあるオーシャンドックからニューヨークに向けて航海をします。
乗員乗客合わせて2200人を超える人が乗り合わせ、一等特別室は、6日の航海の費用4350ドル(およそ404550円)と伝えられています。
航海4日目の午前より周囲から流氷群の危険が無線で警告されていましたが、当時としてはこの季節ではよくあることとしあまり気にも留めていなかったと言われています。
氷山衝突40分前にも近隣を航行するリーランド社の貨物船『カリフォルニアン』から流氷群の警告を受けていましたが、運の悪いことに前日からの無線機の故障により、警告を雑音と捕えてしまいます。
4月14日23時40分、北大西洋のニューファンドランド沖に達したとき、タイタニックの見張りが氷山を発見しますが、回避することが出来ず、船の側面から氷山と衝突してしまいます。
側面から衝突をしてしまったため、タイタニックは水圧に耐えきれなくなっていき、衝突から2時間40分後の2時20分、船体は真っ二つに割れ、海底へと沈んでいきます。
実はこの時、タイタニックは転覆することなく船尾が空中高く持ち上がり、折れて沈んでいくという珍しい沈み方をしています。
デッキの多い客船は通常は早期に転覆をして沈んでいきます。
タイタニック号沈没はヨーロッパなどに大きな衝撃を与える結果となります。
この事故をきっかけに船舶の安全確保のため救命艇や無線装置の装備などの規則を定められます(1914年の海上における人命の安全のための国際条約-SOLAS条約)。
また、アメリカでは船舶への無線装置配備の義務付けが強化され、無線通信が普及するきっかけとなります。




タイタニック号には当時不可解な事が起こっていました。
一つは航海中、タイタニック号から双眼鏡がなくなるという事態が起こったと言われています。
そして双眼鏡がもしなくならなければ、タイタニック号は氷山にぶつからなくて済んだのではないかと言われています。
実はこれについては、航海士が交換された際、お互いに双眼鏡の引き継ぎをしなかったためにそのまま行方不明になったと言われています。
また、タイタニック号は数回の氷山警告を受けていましたが、実はタイタニック号はこの警告を全て無視し、氷山に進んで行きました。
そして無視するよう仕向けたホワイトスター社社長J・ブルース・イズメイタイタニック号沈没生存者706人のうちの一人になっています。
タイタニック号は沈没する際、周辺にSOS信号を発信していましたが、救助に向かった船はわずか4隻で、内救助した船は1隻のみだったと言われています。
このタイタニック号沈没事故では『世界で初めてSOS信号を発信した』と言われていましたが、実はこれよりも前にSOS信号は発信しているため、これは誤りとされています。
ちなみに世界初のSOS発信は1909年6月のアゾレス諸島沖で難破した『スラボニア』が初と言われています。
最終的にはタイタニック号の犠牲者は1513人に達し、当時世界最悪の海難事故となる結果になってしまった。

最近の説ではタイタニック号に良く似た船にオリンピック号と言う船がありますが、実は沈んだのはタイタニック号ではなくオリンピック号が氷山にぶつかって沈んだと言う説も浮上してきたりもしています。
オリンピック号はタイタニック号が沈没する前に2回事故を起こしていて、オリンピック号事態に保険に入ることが出来ず、そのため廃船が目に見えていたため、オリンピック号とタイタニック号をすり替え、タイタニック号に仕立て上げたオリンピック号を故意に氷山にぶつけてその保険金を手に入れようとしていたという説です。
これによりタイタニック号には当時としては異例の100万ポンドの保険金(建造費用50万ポンドをはるかに上回る保険金)がおりました。
現在ではタイタニック号捜索など進み、沈んだ船体に書かれた文字に『Olympic』という文字は描かれてなく、『Titanic』と描かれています。
また、残された写真に両船の写真がありますが、この写真の窓の個数が違っていたりと一般的にはすり替え説は否定されています。




よろしければお願いします。


ペタしてね


読者登録してね