1488年2月3日はポルトガル人バルトロメウ・ディアスヨーロッパ人で初めて、アフリカ南端に上陸した日です。

当時のヨーロッパはクリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸発見などにより、ヨーロッパは新たな植民地を得るため海を超えて国力を高めて行きます(この時期を俗に大航海時代と呼ばれています)。




そんな中ディアスは1486年10月10日、ポルトガル国王ジョアン2世よりアジアに至る交易路確立のため、アフリカ大陸周回航海の遠征隊長に任命されます。

1487年8月、ディアスは準備を整えリスボンを出航します。
ディアスはディオゴ・カンマルティン・ベハイムにより発見されていたコンゴ川河口に向けて航海し、そこから海岸に沿って南下していきました。
しかし、1488年現南アフリカ共和国のポート・ノロス付近で嵐に遭い13日間漂流してしまいます。
嵐が過ぎて陸地から離れてしまったディアスは航路を東に進めますが、一向に陸地が見えませんでした。
そのため、ディアスは航路を北側へとってみると陸地が西側に現れます。
つまり、ディアス達は嵐により船はアフリカ大陸の南側を超え、そのまま大陸の東側へ出てしまいました。
2月3日、ディアスはモッセル湾に上陸したことにより、『ディアスのアフリカ南端到達』とされています。
ディアスはアフリカ南端のアガラス岬、南岸のグレートフィッシュ川を通り、このまま航路を東にとれば、インドまで到達することができることを確認した段階で引き返して行きました。
それというのも、この時乗組員の不満を抑える事ができなかったためだと言われています。
また、ディアスは帰路に着く途中に喜望峰を発見します。



しかし、1488年12月リスボンに帰港したディアスはジョアン2世にこの喜望峰のことを報告しますが、その時は『嵐の岬』として報告しましたが、東方への道を開くという成果に喜んだジョアン2世は『嵐の岬』を『喜望峰』として名前を変えています。




その後のディアスは1497年のヴァスコ・ダ・ガマのインド航海の際、案内人としてヴェルデ岬(アフリカ最西端)まで同行します。
また、1500年、カブラルブラジル探検隊に参加し、ブラジル発見に立ち会いますが、1500年5月、喜望峰付近で嵐に見舞われ命を落とします。
余談ですが、カブラルの前に1500年1月26日スペイン人のピンソン南アメリカのブラジルに上陸したのですが、彼はそこをインドだと思い込んでしまい、『ブラジル到達者』としてはカブラルの方が知られる結果となってしまっています。




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