1903年12月17日はアメリカでライト兄弟がライトフライヤー号で初の有人飛行に成功したことから、飛行機の日とされています。

ここでいうライト兄弟とはウィルバー・ライト(ライト家三男)とオーヴィル・ライトの(ライト家四男)の二人です。
二人は生涯有人飛行に人生を賭け、この偉業を成し遂げ今では生活に欠かせない交通手段にまで発展していくことになります。




しかし、ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見をしている人物がいることをご存知でしょうか?
二宮忠八(慶応2年6月9日(1866年7月20日)-昭和11年(1936年)4月8日)という日本人は1889年陸軍従軍中に『飛行器』を考案し、その後も軍用として実用化へ繋げる申請を軍に二度行いますが、理解されず、独自に人間が乗れる実機の開発を目指していきますが、完成には至りませんでした。
そして忠八の死から18年後、英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の『玉虫型飛行器』の模型を展示し、彼のことを


『ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物』


と紹介されています。
また、忠八の研究はライト兄弟が有人飛行に成功したと知った時(情報手段は今のようにネットとかなく、ライト兄弟もなかなか初飛行を公表しなかったため、忠八が知るのはかなり後になります)、飛行機の開発を取りやめ、製薬の仕事に打ち込むと共に、マルニ(食塩)会社を創業します。
そして大正8年(1919年)、陸軍中将白川義則と懇談した折、飛行器のことを話した際、その内容は正しかったことが分かり、表彰を受けることになります。




飛行機=ライト兄弟という風に考えられやすいですが、日本人でもライト兄弟よりも前に研究をしていた人がいたんですね。




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