文明7年7月23日(1787年9月4日)は二宮尊徳が生まれた日
この名前だとあまり馴染みはないかもしれないけど、二宮金次郎って言われたらきっとわかる人もいますよね(;^_^A
二宮金次郎は相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山)にて百姓の子として生まれました。

彼が5歳の時、台風により酒匂川の堤防が決壊し、金次郎の住む村の田畑は壊滅状態になってしまいます。
そして14歳の時父を亡くし、2年後に母を亡くし、そのため叔父の家に身を寄せることになります。

叔父の家にいた時は寝る間を惜しんで読書をしたというのは有名な逸話です。
また、金次郎は農業の勉強をよくやっていて、作物などの逸話も残っています。
例えば、ナスを食べたところ、夏前なのに秋茄子の味がしたことから冷夏になることを予測しました。
村人にヒエを植えさせ、冷夏に備えると、金次郎の予言通り冷夏で大凶作(天保の大飢饉)が起こりましたが、前もって備えていたため、餓死者が出なかったと言われています。
また、一斗升を改良し、藩内で統一規格化させることにより、役人が不正な升を使って量をごまかし、横領をしていたのを防いだとも言われています。


金次郎というと小学校なんかでは金次郎像が有名ですが、実は自分が通っていた小学校には金次郎像はありませんでした。
皆さんの通っていた学校には二宮金次郎の像はありましたか?


よろしければお願いします。

ペタしてね


読者登録してね